さう努めて穏かに云つて蒲団を冠つた。
「君はまだ寝るのかい。」と遠野が云つた。
「お起なさいよ。」と彼女も云つた。
「今日は一日寝るんだ。」と道助は駄々つ子のやうに答へた。それを聞くと遠野は口笛を鳴らしながら隣室へ出ていつた。
「真実《ほんと》にどこかおわるいの。」と妻が小声で訊《き》く。道助はぢつと他所《よそ》を見凝《みつ》めて答へない。彼女がそつと夜具に手をかけた。彼はそれをピシリと叩いた。彼女は黙つたまゝ頬を痙攣《けいれん》させて出ていつた。
「いつたい遠野は何のために今朝やつて来たのだ。」それを苛々《いら/\》と考へながら道助は跳ね上るやうに半身を起こした。昨日の酒の所為《せゐ》か頭が石のやうに重い。
「ぢや奥さんちよつと坐つてくれませんか。」と遠野が云ふ。
「妾今日は止しますわ。折角ですけれど。」と妻が答へる。
「そんなことを云はないで、ほんのちよつとの間ですからね。」
「でも妾何だか急に気分が勝《すぐ》れませんから。」
 それを聞くと道助は寝巻の儘《まゝ》ふら/\と隣室へ這入《はい》つていつた。そして蒼白い笑顔を作りながら
「描いて貰ふんだ。何なら半裸体でポーズするさ。」と云つた。
 彼女は撥《はじ》かれたやうに立ち上つた、そして遠野の方を向きながら少し慄《ふる》へを帯びた声で
「ではどうぞご面倒でもお願ひ致します。いつそ裸体の全身像を描いて戴きませうかしら。」さう云つて道助を見返した。彼は唇を噛《か》んだ。
 遠野が微笑《ほゝゑ》みながら彼の肩を叩いた。その意味あり気な眼差《まなざし》を見ると彼は一層苛立つた。
「奥さんはとみ子ぢやないんだからな。」遠野は静にさう云つてクルリと背後《うしろ》を向きながら又口笛を鳴らし初めた。道助はその背中へ反抗的な劇《はげ》しい視線を投げた。
「あゝ君それからとみ子がね。いつぞやは大変失礼致しましたつて云つてたぜ。」と遠野はそのまゝ見返りもしないで云つた。
「案の通りやつて来たな。」と云ふ風に、道助は落ちついて微笑し初めた、がそれが、途中でふいと硬《こは》ばつてしまつた。彼女が傍につゝ伏して肩を震はせてゐるのだつた……
[#地から1字上げ](大正十一年十一月)



底本:「現代文学大系 64 現代名作集(二)」筑摩書房
   1968(昭和43)年2月10日第1刷発行
初出:「東京朝日」
   1922(大正11)年11月
入力:土屋隆
校正:小林繁雄
2006年7月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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