身《いれずみ》か何かのように、兄の頬にへばりついてるではないか。弟は二三歩あとへよって、無言のまま蒼くなって兄の顔を指した。
「あら、あら、あら」そう叫びながら、彼女は樹の幹に震えついた。異常な神経家の蜘蛛はただならぬ雰囲気を感じたのだろう。兄の頬から細い首筋の方へ動き初めた。兄が何気なくそこへ手をやると、蜘蛛は今度はその手の甲の上に蟠《わだか》まって、腹を動かした。兄は忙《あわ》ててもう一方の手でそれを払った。そうしてその瞬間に彼のからだは中心を失って地上に落ちた。
彼女と弟とは固くなって眸《ひとみ》を見張った。兄は俯伏《うつぶ》せに横わったまま片方の眼を押えてしくしく泣いていた。その指の叉《また》から濃い血が滲《にじ》みでてくる。そして、彼の頭の上の空間には、脚を縮めた醜い蜘蛛のからだが、上の樹の枝の揺れにつれてもぞもぞと動いているのだ。
きゅうに彼女が、樹の上で破《わ》れるように泣きだした。弟もぼろぼろと涙を流した。そして主屋《おもや》の方へ一散に駈けながら、遠くの彼女と声を合せて泣いていった。
兄の左の眼はその時以来ずっと黒眼鏡で蔽われている。
二
蜻蛉《とんぼ》釣りに蜻蛉の行衛《ゆくえ》をもとめたり、紙鳶《たこ》上げに紙鳶のありかを探したりする煩《わずらわ》しさに兄は耐えられなくなってしまった。そうして雑草を踏みしだいて駈け廻ったり、ゴム※[#「毬」の「求」に代えて「鞠」のつくり、第4水準2−78−13、10下−5]《まり》をはるばると投げ上げたりする輝かしい遊びからも彼はすっかり遠ざかってしまった。彼は肥って色が白かった、それが黒眼鏡を掛けだしてから、いっそう静な清浄な感じのする子供になった。彼を憫《いとお》しむ言葉が、弟らの前で、しばしば周囲の人々の口に上った。歌津子がこまごまとした毛糸細工を贈ったり、小さな南京玉の飾りを兄の胸へつけてやったりすることもたびたびあった。
弟は勝気な健康な子供であった。それが、いつの間にか何かしら憂鬱《ゆううつ》を感じるようになった。
ある晩、村の社《やしろ》の祭礼で、兄を真中に、歌津子と弟とが両側に並んでお参りをした。帰りは、紙鉄砲や折紙細工の批評や、焔の上に手を翳《かざ》して平気でいた魔術師の噂さなどで、彼らはそれぞれ興奮していた。
人通りの少いところへ来ると、兄は先きにたってピイピイと
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