には省く。
男爵の事は兼ていろ/\と噂を聞いてゐる。しかし噂をする者は各其見る所の男爵を伝へ真の男爵を伝へ得ぬ、而して其噂をする人の眼識より推す時に其見得たる所は甚だ覚束かない。僕は敢て男爵を知り得たとは云〔はない〕しかし葡萄のやうな僕の眼に映じた男爵は理想家にして又実際家である。この理想に依つて所謂人事を尽すに方つて男爵は極て緻密の注意を用ふる、細心に斟酌を加へる、故に豪放の中に慎重を寓し事の細目にまで渉つて齷齪[#「齷齪」は底本では「齷齦」]はせぬが大局を掴むに大掴みに掴まぬ、必ず惨憺たる苦心を経て後始て間違のない所を掴む。
今の世でも理想家はある、しかし多くの理想家の理想は死理想で役に立たない、実際家は固より多い、しかし実際家は理想を欠くが故に其為る所は動もすれば委下瑣末に流れて生存に役せられてゐる、かまけてゐる。理想に囚はれず実際に役せられず、超然として心を物外に居きながら敢然として身を物内に投じて活殺自在の働きを為し得る真人間は存外少ない、否殆どないが、僕の見た男は則ち其人たるに庶幾い、男は敢て他人を模倣しない、又他人の模倣を許さぬ、後藤新平は頂天立地一個の後藤新平である。
午后一時男に陪乗して敦賀を発し米原で告別して下り列車に乗移つた。車室の中僕の外唯二個の客あるのみ。僕は肱懸に頬杖ついて熟々と男の人と為りを想うて大阪へ下つた。
遊露記(三)
滞阪二日の間俗事多端殆ど寸隙がなかつた。俗事に趣味はない、しかしそれが千百と一身に蝟集して息もつけぬ処に無限の玩味がある、閑散は僕の尤も憎む所だ。
出発の前夜同僚諸子僕の為に祝宴を築地のタケシキに張つて僕の行色を壮にして呉れた。宿に帰つてから、東京の某君に柬せんと欲して徹宵筆を措かず表書を書了る頃、更既に明けたり、
十七日午前七時九分大阪発、村山社長素川君等見送られる、三ノ宮で下車すると僕と形影相追随するが如き長田君ステーションで僕を迎へて呉れた。僕の交遊は寧ろ寡いが、有る所は皆親友で皆此の如く信切に世話して呉れる。僕は薄運だと人もいひ僕もおもふけれど、此点を思ふと必ずしもさうでない。
是より先大阪の正金支店で露都宛の為替を組まうとして拒絶された。神戸の支店でも右同断。拠なく香港上海銀行で若干の金をサーキュレーチング、ノートに易へて纔かに目的を達し得た。後遊者の為にもと爰に其次第を記しておく。
午前十時半長田君大庭君(大阪毎日)神戸支局の某君に見送られて神戸丸に乗込む。キャビンに入ると、花の如き美人が居て小腰を屈めて挨拶せられる。僕が目を丸くして人違ひでないかといつたら、イヽエ日向の家内でざいますといはれて始て分つた。あゝ、これ我親友の細君だ。
滞阪二日間は俗事蝟集殆ど息も吐けなかつた。俗事には趣味はないが、多忙には趣味がある。少くも閑散無事に勝ること万々である。此間社の内外の諸友の厄介になる事一通りでない、或は祝宴を張つて貰ふ、餞別を貰ふ、見送つて貰ふ、殊に一友の如きは痾を紀州の某温泉に養つてゐたにも拘らず能※[#二の字点、1−2−22]大阪に来て僕を待合せ、僕が神戸を立つ迄は形影の如く相追随して家来が主人の世話をするやうに世話をして呉れた。僕は何も取得のない男だ、只かうした友を持つたのを聊か誇りとする。
眉山氏の訃に接した。
十七日午前大阪を発して神戸に来て大連行の神戸丸に乗込む。長田君、大庭君、日向君の代理として其半身の種子さん支局詰の某君等船まで見送られる。僕は此諸君が手仕舞の小蒸気に乗つて帰り行く影の見える迄舷側に立尽した。今迄は友の手から友の手へ渡されて、知らぬ間に人が皆好いやうにして置いて呉れた。これから自分で自分の始末をせねばならぬ。それは当然だが、かういふ友に別れて独法師になるのが何となく心細い。僕は豪傑でも何でもないから、肯て痩我慢を言はぬ。
午前十一時船は錨を抜いて神戸を出帆した。
底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日発行
初出:「東京朝日新聞」
1908(明治41)年7月8〜14日
※発表時には「入露記」と題した。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2004年12月4日作成
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