リー》、其等が無ければ、何時迄経っても真の研究は覚束ないと思い出した。そんなら銭の費《かか》らん研究法をしなくてはならんが、其には自分を犠牲にして解剖壇上に乗せて、解剖学を研究するより外仕方がない。当時は、医学上の大発見の為に毒薬を仰いだりした人の話が頭にあったから、そんな犠牲心も起したんだ。即ち私の心的要素《マインドスタッフ》を種々の事情の下に置いて、揉み散らし、苦め散らし、散々な実験《エクスペリメント》を加えてやろう。そしたら、学術的に心持《メンタルトーン》を培養する学理は解らんでも、その技術《アート》を獲《え》ることは出来やせんか、と云うので、最初は方面を撰んで、実業が最も良かろうと見当を付けた。それで、実業家と成ろうと大分焦った。が併し私の露語を離れ離れにしては実業に入れぬから、露国貿易と云うような所から段々入ろうと思った。そして国際的関係に首を突込んで、志士肌と商売肌を混ぜてそれにまた道徳的のことも加えたり何かして見ると、かのセシルローズなぞが面白い人物と思われるようになった。単に金持が羨《うらやま》しいんじゃない。形は違うが、一つああいう風の事業をやろうと云うのを見当としてそんな方面にも走った事がある。で、私の職業の変遷を述べれば、官報局の翻訳係、陸軍大学の語学教師、海軍省の編輯書記、外国語学校の露語教師なぞという順序だが、今云った国際問題等に興味を有《も》つに至って浦塩《うらじお》から満洲に入《い》り、更に蒙古に入《い》ろうとして、暫時《しばし》警務学堂に奉職していた事なんぞがある。
が、これは外面に現れた事実上の事だ。その心的方面を云うと、この無益《やくざ》な心的要素《マインドスタッフ》が何れ程まで修練を加えたらもの[#「もの」に傍点]になるか、人生に捉われずに、其を超絶する様な所まで行くか、一つやッて見よう、という心持で、幾多の活動上の方面に接触していると、自然に、人生問題なぞは苦にせずに済む。で、この方面の活動だと、ピタッと人生にはまッて了って、苦痛は苦痛だが、それに堪えられんことは無い。一層奮闘する事が出来るようになるので、私は、奮闘さえすれば何となく生き甲斐があるような心持がするんだ。
明治三十六年の七月、日露戦争が始まると云うので私は日本に帰って、今の朝日新聞社に入社した。そして奉公として「其面影」や「平凡」なぞを書いて、大分また文壇に
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