えない奴が、浅墓じゃあるが、具体的に一寸眼前に現《で》て来ている。――私の心というものは、その女に惹き付けられた。
 これが併し動機になったんだ。勢い極まって其処まで行ったんだが、……これが畢竟《つまり》一転する動機となったんだ。
 で、私はこんな事を考えた。――斯ういう風に実例を眼前に見て、苦しいとか、楽しいとか云う事は、人によって大変違う。例えば私が苦しいと思う事も、其女は何とも思わんかも知らん。それはまア浅薄で何とも思わないんだが、浅薄でなくてしかも何とも思わん人もある。それは誰かと云うに、孔子さんだろうと思う。悠々として天命を楽むのは実に豪《えら》い。例えば「死」なる問題は、今の所到底理論の解決以外だ。が、解決が出来たとした所で、死は矢張《やっぱ》り可厭《いや》だろう。ただ解決が出来れば幾分か諦《あきらめ》が付き易い効はあるが、元来「死」が可厭《いや》という理由があるんじゃ無いから――ただ可厭《いや》だから可厭《いや》なんだ――意味が解った所で、矢張《やっぱ》り何時迄も可厭《いや》なんだ。すると智識で「死」の恐怖を去る事は出来ん。死を怖れるのも怖れぬのも共に理由のない事だ。換言すれば其人の心持《メンタルトーン》にある。即ち孔子の如き仁者の「気象」にある。ああ云う聖人の様な心持で居たらば、死を怖れて取乱す事もあるまい。人生の苦痛に対しても然り、聖人だって苦痛は有る、が、その間に一分の余裕があって取乱さん。悠々として迫らぬ気象、即ち「仁」がある。だから思想上で人生問題の解決が付くか否か解らんが、一方で人間に「仁」の気象を養ったら、何となく人生を超絶して、一段上に出る塩梅《あんばい》で、苦痛にも何にも捉えられん、仏者の所謂自在天に入りはすまいかと考えた。
 そこで、心理学の研究に入った。
 古人は精神的《メンタリー》に「仁」を養ったが、我々新時代の人は物理的《フヒジカリー》に養うべきではなかろうかという考になった。
 心理学、医学に次いで、生理心理学を研究し始めた。是等に関する英書は随分|蒐《あつ》めたもので、殆ど十何年間、三十歳を越すまで研究した。呉博士《くれはくし》と往復したのも、参考書類を読破しようという熱心から独逸語を独修したのも、此時だ。けれども其結果、どうも個人の力じゃ到底やり切れんと悟った。ヴントの実験室《ラボラトリー》、ジェームスの実験室《ラボラト
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