Rな奇麗な道具が燦然《ぱっ》と眼へ入って、一寸《ちょっと》目眩《まぼ》しいような気がする中でも、長火鉢の向うに、三十だか四十だか、其様《そん》な悠長な研究をしてる暇《ひま》はなかったが、何でも私の母よりもグッと若い女の人が、厚い座布団の上にチンと澄している姿を認めたから、狼狽して卒然《いきなり》其処へドサリと膝を突くと、真紅《まっか》になって、倒さになって、
「初めまして……」

          二十七

 伯母さん――といっては何だか調和《うつり》が悪い、奥様は一寸《ちょっと》会釈して、
「今お着きでしたか?」
「は」、と固くなる。
「何ですか、お国では阿父《おとう》さんも阿母《おかあ》さんもお変りは有りませんか?」
「は。」
 と矢張《やっぱり》固くなりながら、訥弁《とつべん》でポツリポツリと両親の言伝《ことづて》を述べると、奥様は聴いているのか、いないのか、上調子《うわちょうし》ではあはあと受けながら、厭に赤ちゃけた出がらしの番茶を一杯|注《つ》いで呉れたぎりで、一向構って呉れない。気が附いて見ると、座布団も呉れてない。
 何時迄《いつまで》経《た》っても主人《あるじ》が顔を見せぬので、
「伯父さんはお留守ですか?」
 と不覚《つい》言って了った顔を、奥様はジロリと尻眼に掛けて、
「主人はまだ役所から退《ひ》けません。」
 主人と厭に力を入れて言われて、じゃ、伯父さんじゃ不好《いけなか》ったのか知ら、と思うと、又私は真紅《まっか》になった。
 ところへバタバタと椽側に足音がして、障子が端手《はした》なくガラリと開《あ》いたから、ヒョイと面《かお》を挙《あげ》ると、白い若い女の顔――とだけで、其以上の細かい処は分らなかったが、何しろ先刻《さっき》取次に出たのとは違う白い若い女の顔と衝着《ぶつか》った。是が噂に聞いた小狐《おぎつね》の独娘《ひとりむすめ》の雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽《あわ》てて俯向《うつむ》いて了った。
「阿母《かあ》さん阿母さん」、と雪江さんは私が眼へ入らぬように挨拶もせず、華やかな若い艶《つや》のある美《い》い声で、「矢張《やっぱり》私の言った通《とおり》だわ。明日《あした》が楽《らく》だわ。」
「まあ、そうかい」、と吃驚《びっくり》した拍子に、今迄の奥様がヒョイと奥へ引込《ひっこ》んで、矢張《やっぱり》尋常《ただ》の阿母《かあ》さんになって了った。
「厭だあ私《あたし》……だから此前の日曜にしようと言たのに、阿母《かあ》さんが……」といいながら座敷へ入って来て、始めて私が眼へ入ったのだろう。ジロジロと私の風体《ふうてい》を視廻して、膝を突いて、母の顔を見ながら、「誰方《どなた》?」
「此方《このかた》が何さ、阿父様《おとうさま》からお話があった古屋さんの何さ。」
「そう。」
 といって雪江さんは此方《こちら》を向いたから、此処らでお辞儀をするのだろうと思って、私は又倒さになって一礼すると、残念ながら又|真紅《まっか》になった。
 雪江さんも一寸《ちょっと》お辞儀したが、直ぐと彼方《あちら》を向いて了って、
「私《あたし》厭よ。阿母《かあ》さんが彼様《あん》な事言って行《い》かなかったもんだから……」
「だって仕方がなかったンだわね。私《あたし》だって彼様《あん》な窮屈な処《とこ》へ行《い》くよか、芝居へ行った方が幾ら好《い》いか知れないけど、石橋さんの奥様《おくさん》に無理に誘われて辞《ことわ》り切れなかったンだもの。好《い》いわね、其代り阿父様《おとうさま》に願って、お前が此間|中《じゅう》から欲しい欲しいてッてる彼《あれ》ね?」と娘の面《かお》を視て、薄笑いしながら、「彼《あれ》を買って頂いて上げるから……仕方がないから。」
「本当《ほんと》?」と雪江さんも急に莞爾々々《にこにこ》となった。私は見ないでも雪江さんの挙動《ようす》は一々分る。「本当《ほんと》? そんなら好《い》いけど……ちょいとちょいと、其代り……」と小声になって、「ルビー入りよ。」
「不好《いけ》ません不好ません! ルビー入りなんぞッて、其様《そん》な贅沢な事が阿父様《おとうさま》に願えますか?」
「だってえ……尋常《ただ》のじゃあ……」と甘たれた嬌態《しな》をする。
「そんならお止しなさいな。尋常《ただ》ので厭なら、何も強いて買って上げようとは言わないから。」
「あら! ……」と忽ち機嫌を損ねて、「だから阿母《かあ》さんは嫌いよ。直《じき》ああだもの。尋常《ただ》のじゃ厭だって誰も言てやしなくってよ。」
「そんなら、其様《そん》な不足らしい事お言いでない。」
「へえへえ、恐れ入りました」、と莞爾《にっこり》して、「じゃ、尋常《ただ》のでも好《い》いから、屹度《きっと》よ。ねえ、阿母《かあ》さん、欺《だ
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