ニ《このうち》に下宿して居た。
或日朝から出て昼過に帰ると、帳場に看慣《みな》れぬ女が居る。後向《うしろむき》だったから、顔は分らなかったが、根下《ねさが》りの銀杏返《いちょうがえ》しで、黒縮緬《くろちりめん》だか何だかの小さな紋の附いた羽織を着て、ベタリと坐ってる後姿が何となく好かったが、私がお神さんと物を言ってる間、其女は振向いても見ないで、黙って彼方《あちら》向いて烟草《たばこ》を喫《す》っていた。
部屋へ来る跡から下女が火を持って来たから、捉《つか》まえて聞くと、今朝殆ど私と入違《いりちが》いに尋ねて来たのだそうで、何でもお神さんの身寄だとかで、車で手荷物なぞも持って来たから、地方の人らしいと云う。唯|其切《それぎり》で、下女の事だから要領を得ない。
「如何《どん》な女だい?」
「あら、今御覧なすったじゃ有りませんか?」
「後向《うしろむ》きで分らなかった。」
「別品《べっぴん》ですよ」、といって下女は莞爾々々《にこにこ》している。
「丸顔かい?」
「いいえ、細面《ほそおもて》でね……」
「色は如何《どん》なだい? 白いかい?」
下女は黙って私の面《かお》を見ていたが、
「大層お気が揉めますのね。何なら、もう一遍下へ行って見ていらしッたら……」
誰にでも翻弄《ほんろう》されると、途方に暮れる私だから、拠《よん》どころなく苦笑《にやり》として黙って了うと、下女は高笑《たかわらい》して出て行って了った。
五十一
軈《やが》て夕飯時《ゆうめしどき》になった。部屋々々へ膳を運ぶ忙がしそうな足音が廊下に轟いて、何番さんがお急ぎですよ、なぞと二階から金切声で聒《かしま》しく喚《わめ》く中を、バタバタと急足《いそぎあし》に二人ばかり来る女の足音が私の部屋の前で止ると、
「此方《こッち》が一番さんで、夫《それ》から二番さん三番さんと順になるンですから何卒《どうぞ》……」
というのは聞慣れた小女《ちび》の声で、然う言棄てて例の通り端手《はした》なくバタバタと引返《ひッかえ》して行く。
と、跡に残った一人が障子の外に蹲《うずく》まった気配《けはい》で、スルスルと障子が開《あ》いたから、見ると、彼女《あのおんな》だ、彼女《あのおんな》に違いない。私は急いで余所を向いて了ったから、能《よ》くは、分らなかったが、何でも下女の話の通り細面《ほそおもて》で、蒼白い、淋しい面相《かおだち》の、好《い》い女だ……と思った。年頃は二十五六……それとも七か……いや、八か……女の歳は私には薩張《さっぱり》分らない。もう羽織はなしで、紬《つむぎ》だか銘仙だか、夫とも更《もッ》と好《い》い物だか、其も薩張《さっぱり》分らなかったが、何《なに》しても半襟の掛った柔か物で、前垂《まえだれ》を締めて居たようだった。障子を明けると、上目でチラと私の面《かお》を見て、一寸《ちょっと》手を突いて辞儀をしてから、障子の影の膳を取上て、臆した体もなくスルスルと内へ入って来て、「どうもお待せ申しまして」、といいながら、狼狽《まごまご》している私の前へ据えた手先を見ると、華奢《きゃしゃ》な蒼白い手で、薬指に燦《きら》と光っていたのは本物のゴールド、リングと見た。正可《まさか》鍍金《めッき》じゃ有るまい、飯櫃《めしびつ》も運び込んでから、
「お湯はございますか知ら。」
と火鉢の薬鑵《やかん》を一寸《ちょっと》取って見て、
「まだ御座いますようですね。じゃ、お後《あと》にしましょう。御緩《ごゆっ》くりと……」
と会釈して、スッと起《た》った所を見ると、スラリとした後姿《うしろつき》だ。ああ、好《い》い風《ふう》だ、と思っている中《うち》に、もう部屋を出て了って、一寸《ちょっと》小腰を屈《かが》めて、跡を閉めて、バタバタと廊下を行く。
別段|異《かわ》った事もない。小娘でないから、少しは物慣れた処もあったろうが、其は当然《あたりまえ》だ。風《ふう》に一寸《ちょっと》垢脱《あかぬけ》のした処が有ったかも知れぬが、夫《それ》とても浮気男の眼を惹《ひ》く位《ぐらい》の価値で大した女ではなかったのに、私は非常に感服して了った。尤も私の不断接している女は、厭にお澄しだったり、厭に馴々《なれなれ》しかったりして、一見して如何にも安ッぽい女ばかりだったから、然ういうのを看慣《みな》れた眼には少しは異《ちが》って見えたには違いない。
何物だろうと考えて見たが、分らない。或は黒人《くろうと》上りかとも思ってみたが、下町育ちは山の手の人とは違う。此処のお神さんも下町育ちだと云う。そういえば、何処か様子に似た処もある。或は下町育ちかも知れぬとも思った。
素性は分らないが、兎に角面白そうな女だから、此様《こん》なのを味わったら、女の真味が分るかも知れん。今に膳を下
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