ナいる中《うち》に、又|旧《もと》の位置に戻って了う。雪江さんは処女《むすめ》だけれど、乳の処がふッくりと持上っている。大方乳首なんぞは薄赤くなってるばかりで、有るか無いか分るまい……なぞと思いながら、雪江さんの面《かお》ばかり見ていると、いつしか私は現実を離れて、恍惚《うっとり》となって、雪江さんが何だか私の……妻《さい》でもない、情人《ラヴ》でもない……何だか斯う其様《そん》なような者に思われて、兎に角私の物のように思われて、今は斯うして松という他人を交《ま》ぜて話をしているけれど、今に時刻が来れば、二人一緒に斯う奥まった座敷へ行く。と、もう其処に床が敷《と》ってある。夜具も郡内《ぐんない》か何《なに》かだ。私が着物を脱ぐと、雪江さんが後《うしろ》からフワリと寝衣《ねまき》を着せて呉れる。今晩は寒いわねえとか雪江さんがいう。む、む、寒いなあとか私も言って、急いで帯をグルグルと巻いて床へ潜り込む。雪江さんが私の脱棄《ぬぎすて》を畳んでいる。其様《そん》な事は好加減《いいかげん》にして早く来て寝なと私がいう。あいといって雪江さんが私の面《かお》を見て微笑《にッこり》する……
「ねえ、古屋さん、然うだわねえ?」
 と雪江さんが此方《こっち》を向いたので、私は吃驚《びっくり》して眼の覚めたような心持になった。何でも何か私の同意を求めているのに違いないから、何だか仔細は分らないけれど、
「そうですとも……」
 と跋《ばつ》を合わせる。
「そら、御覧な。」
 と雪江さんは又松の方を向いて、又話に夢中になる。
 私はホッと溜息をする。今の続きを其儘にして了うのは惜しい。もう一度幻想でも何でも構わんから、もう一度、今の続きを考えて見たいと思うけれど、もう気が散って其心持になれない。仕方がないから、黙って話を聴いている中《うち》に、又いつしか恍惚《うッとり》と腑が脱けたようになって、雪江さんの面《かお》が右を向けば、私の面《かお》も右を向く。雪江さんの面《かお》が左を向けば、私の面《かお》も左を向く。上を向けば、上を向く、下を向けば下を向く……

          三十九

 パタリと話が休《や》んだ。雪江さんも黙って了う、松も黙って了う。何処でか遠方で犬の啼声が聞える。所謂《いわゆる》天使が通ったのだ。雪江さんは欠《あく》びをしながら、序《ついで》に伸《のび》もして、
「もう何時だろう?」
「まだ早いです、まだ……」
 と私が狼狽《あわ》てて無理に早い事にして了う心を松は察しないで、
「もう九時過ぎたでしょうよ。」
「阿父《とう》さんも阿母《かあ》さんも遅いのねえ。何を為《し》てるンだろう?」
 と又|欠《あく》びをして、「ああああ、古屋さんの勉強の邪魔しちゃッた。私《あたし》もう奥へ行《い》くわ。」
 私が些《ちッ》とも邪魔な事はないといって止めたけれど、最う斯うなっては留《とま》らない、雪江さんは出て行って了う。松も出て行《い》く。私一人になって了った。詰らない……
 ふと雪江さんの座蒲団が眼に入《い》る……之れを見ると、何だか捜していた物が看附《みつか》ったような気がして、卒然《いきなり》引浚《ひっさら》って、急いで起上《たちあが》って雪江さんの跡を追った。
 茶の間の先の暗い処で雪江さんに追付《おッつ》いた。
「なあに? ……」
 と雪江さんの吃驚《びッくり》したような声がして、大方《おおかた》振向いたのだろう、面《かお》の輪廓だけが微白《ほのじろ》く暗中《あんちゅう》に見えた。
「貴嬢《あなた》の座布団を持って来たのです。」
「あ、そうだッけ。忘れちゃッた。爰《ここ》へ頂戴《ちょうだい》」、と手を出したようだった。
 私は狼狽《あわ》てて座布団を後《うしろ》へ匿《かく》して、
「好《い》いです、私が持ってくから。」
「あら、何故?」
「何故でも……好《い》いです……」
「そう……」
 と何だか変に思った様子だったが、雪江さんは又暗中を動き出す。暗黒《くらやみ》で能《よ》くは分らないけれど、其姿が見えるようだ。私も跡から探足《さぐりあし》で行く。何だか気が焦《あせ》る。今だ、今だ、と頭の何処かで喚《わめ》く声がする。如何《どう》か為《し》なきゃならんような気がして、むずむずするけれど、何だか可怕《こわ》くて如何《どう》も出来ない。咽喉《のど》が乾《かわ》いて引付《ひッつ》きそうで、思わずグビリと堅唾《かたず》を呑んだ……と、段々明るくなって、雪江さんの姿が瞭然《はっきり》明るみに浮出す。もう雪江さんの部屋の前へ来て、雪江さんの姿は衝《つい》と障子の中《うち》へ入って了った。
 其を見ると、私は萎靡《がっかり》した。惜しいような気のする一方で、何故だか、まず好かったと安心した気味もあった。で、続いて中へ入って、持って来た座布団を机
前へ 次へ
全52ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング