ャ学時代から然うだったが、中学へ移ってからも、是ばかりは変らなかった。此次は代数の時間とか、幾何《きか》の時間とかなると、もう其が胸に支《つか》えて、溜息が出て、何となく世の中が悲観された。
算術は四則だけは如何《どう》やら斯うやら了解《のみこ》めたが、整数分数となると大分怪しくなって、正比例で一寸《ちょっと》息を吐《つ》く。が、其お隣の反比例から又|亡羊《うろうろ》し出して、按分比例で途方に暮れ、開平|開立《かいりゅう》求積となると、何が何だか無茶苦茶になって、詰り算術の長の道中を浮の空で通して了ったが、代数も矢張《やっぱ》り其通り。一次方程式、二次方程式、簡単なのは如何《どう》にかなっても、少し複雑のになると、|A《エー》と|B《ビー》とが紛糾《こぐら》かって、何時迄《いつまで》経《た》っても|X《エッキス》に膠着《こびりつ》いていて離れない。況《いわん》や不整方程式には、頭も乱次《しどろ》になり、無理方程式を無理に強付《しいつ》けられては、げんなりして、便所へ立ってホッと一息|吐《つ》く。代数も分らなかったが幾何《きか》や三角術は尚分らなかった。初の中《うち》は全く相合《あいあわ》せ得る物の大《おおい》さは相等しなどと真顔で教えられて、馬鹿《ばか》扱《あつかい》にするのかと不平だったが、其中《そのうち》に切売の西瓜《すいか》のような弓月形《きゅうげつけい》や、二枚屏風を開いたような二面角が出て来て、大きなお供《そなえ》に小さいお供《そなえ》が附着《くっつ》いてヤッサモッサを始める段になると、もう気が逆上《うわず》ッて了い、丸呑《まるのみ》にさせられたギゴチない定義や定理が、頭の中でしゃちこばって、其心持の悪いこと一通りでない。試験が済むと、早速|咽喉《のど》へ指を突込んで留飲《りゅういん》の黄水《きみず》と一緒に吐出せるものなら、吐出して了って清々《せいせい》したくなる。
何の因果で此様《こん》な可厭《いや》な想《おもい》をさせられる事か、其は薩張《さっぱり》分らないが、唯此|可厭《いや》な想《おもい》を忍ばなければ、学年試験に及第させて貰えない。学年試験に及第が出来ぬと、最終の目的物の卒業証書が貰えないから、それで誠に止むことを得ず、眼を閉《ねむ》って毒を飲む気で辛抱した。
尤も是は数学ばかりでない。何《ど》の学科も皆多少とも此気味がある。味わって楽む
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