轤オく思われてならぬ。私が余《あんま》りポチばかり可愛がって勉強をしなかったから、父が万一《ひょっと》したら懲《こら》しめのため、ポチを何処かへ匿《かく》したのじゃないかと思う。そうすると、今の啼声は矢張《やっぱり》ポチだったかも知れぬと、うろうろとする目の前を、土耳其帽《トルコぼう》を冠《かぶ》った十徳姿の何処かのお祖父《じい》さんが通る。何だか深切そうな好《い》いお祖父《じい》さんらしいので、此人に聞いたら、偶然《ひょっ》とポチの居処《いどころ》を知っていて、教えて呉れるかも知れぬと思って、凝然《じっ》と其面《そのかお》を視ると、先も振向いて私の面《かお》を視て、莞爾《にッこり》して行って了った。
 向うから順礼の親子が来る。笈摺《おいずる》も古ぼけて、旅窶《たびやつ》れのした風で、白の脚絆《きゃはん》も埃《ほこり》に塗《まぶ》れて狐色になっている。母の話で聞くと、順礼という者は行方知れずになった親兄弟や何かを尋ねて、国々を経巡《へめぐ》って歩くものだと云う。此人達も其様《そん》な事で斯うして歩いているのかも知れぬ、と思うと、私も何だか此仲間へ入って一緒にポチを探して歩きたいような気がして、立止って其の後姿を見送っていると、忽ち背後《うしろ》でガラガラと雷の落懸《おちかか》るような音がしたから、驚いて振向こうとする途端《とたん》に、トンと突飛されて、私はコロコロと転がった。
「危ねい! 往来の真ン中を彷徨《うろうろ》してやがって……」とせいせい息を逸《はず》ませながら立止って怒鳴り付けたのは、目の怕《こわ》い車夫であった。
 車には黒い高い帽子を冠《かぶ》って、温《あった》かそうな黄ろい襟の附いた外套を被《き》た立派な人が乗っていたが、私が面《かお》を顰《しか》めて起上《おきあが》るのを尻眼に掛けて、髭《ひげ》の中でニヤリと笑って、
「鎌蔵《かまぞう》、構わずに行《や》れ。」
「へい……本当《ふんと》に冷りとさせやがった。気を付けろ、涕垂《はなた》らしめ! ……」
 と車夫は又トットッと曳出した。
 紳士は犬殺しでない。が、ポチを殺した犬殺しと此人と何だか同じように思われて、クラクラと目が眩《くら》むと、私はもう無茶苦茶になった。卒然《いきなり》道端《みちばた》の小石を拾って打着《ぶっつ》けてやろうとしたら、車は先の横町へ曲ったと見えて、もう見えなかった。
 パ
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