ネがら来る。
 道端《みちばた》の子供等は皆好奇の目を円くして此怪し気な車を見迎え見送って、何を言うのか、口々に譟然《がやがや》と喚《わめ》いている中から、忽ち一段|際立《きわだ》って甲高《かんだか》な、「犬殺しだい犬殺しだい!」という叫声《さけびごえ》が其処此処から起る。と聞くより、私はハッとした。全身の血の通いが急に一|時《じ》に止ったような気がして、襟元から冷りとする、足が窘蹙《すく》む……と、忽ち心臓が破裂せんばかりに鼓動し出す。「ポチは? ……」という疑問が曇ったような頭の中で、ちらりと電光《いなずま》のように閃いて又暗中に没する時、ガタガタと車が前を通る。
 後で聞けば、菰《こも》の下から犬の尻尾とか足とかが見えていたというけれど、私が其時|佶《きっ》と目を据えて視たのでは、唯車が躍って菰《こも》が魂の有るようにゆさゆさと揺《ゆれ》るのが見えたばかりで、他《ほか》には何も見えなかった。或は最う目も霞んでいたのかも知れぬ。
「おッそろしい餓鬼だなあ! まだ彼様《あんな》に出て来やがら……」
 と太い煤《すす》けたような野良声《のらごえ》で、――確に年上の奴に違いないが、然う言うのが聞えた。
 ガタンと一つ小石に躍って、車は行過ぎて了う。
 跡は両側の子供が又|続々《ぞろぞろ》と動き出し、四辺《あたり》が大黒帽に飛白《かすり》の衣服《きもの》で紛々《ごたごた》となる中で、私一人は佇立《たちどま》ったまま、茫然として轅棒《かじぼう》の先で子供の波を押分けて行くように見える車の影を見送っていた。
 と、誰だか私の側《そば》へ来て、何か言う。顔は見覚えのある家《うち》の近所の何とかいう児だが、言ってる事が分らない。私は黙って其面《そのかお》を視たばかりで、又|窃《そっ》と車の行った方角を振向いて見ると、最う車は先の横町を曲ったと見えて、此方《こちら》を向いて来る沢山の子供の顔が見えるばかりだ。
「ねえ、君、君ン所《とこ》のポチも殺されたかも知れないぜ。」
 という声が此時ふと耳に入って、私はハッと我に反《かえ》ると、
「啌《うそ》だい! 殺されるもんか! 札が附いてるもの……」
 と狼狽《あわて》て打消てから、始めて木村の賢ちゃんという児と話をしている事が分った。
「やあ……札が附いてたって、殺されますから。へえ。僕ン所《とこ》の阿爺《おとっ》さんが……」
 と賢
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