風を逆《さかさ》にした影に祖母が寝ていて、面《かお》に白い布片《きれ》が掛けてある。父が徐《しず》かに其を取除《とりの》けると、眼を閉じて少し口を開《あ》いた眠ったような祖母の面《かお》が見える……一目見ると厭な色だと思った。長いこと煩《わずら》っていたから、窶《やつ》れた顔は看慣《みな》れていたが、此様《こん》な色になっていたのを見た事がない。厭に白けて、光沢《つや》がなくて、死の影に曇っているから、顔中が何処となく薄暗い。もう家《うち》のお祖母《ばあ》さんでは無いような気がする。といって、余処《よそ》のお祖母《ばあ》さんでもないが、何だか其処に薄気味の悪い区劃《しきり》が出来て、此方《こっち》は明るくて暖かだが、向うは薄暗くて冷たいようで、何がなしに怕《こわ》かった。
「お辞儀をしないか。」
と父に催促されて、私は莞爾々々《にこにこ》となった。何故だか知らんが、莞爾々々《にこにこ》となって、ドサンと膝を突いて、遠方からお辞儀して、急いで次の間へ逃げて来て、矢張《やっぱり》莞爾々々《にこにこ》していた。
其中《そのうち》に親類の人達が集まって来る、お寺から坊さんが来る、其晩はお通夜《つや》で、翌日は葬式と、何だか家内《かない》が混雑《ごたごた》するのに、覩《み》る物聞く事皆珍らしいので、私は其に紛れて何とも思わなかったが、軈《やが》て葬式が済んで寺から帰って来ると、手伝の人も一人帰り二人帰りして、跡は又|家《うち》の者ばかりになる。薄暗いランプの蔭でト面《かお》を合せて見ると、お祖母《ばあ》さんが一人足りない。ああ、お祖母《ばあ》さんは先刻《さっき》穴へ入って了ったが、もう何時迄《いつまで》待ても帰って来ぬのだと思うと、急に私は悲しくなってシクシク泣出した。
私の泣くのを見て母も泣いた。父も到頭泣いた。親子三人|向合《むかいあ》って、黙って暫く泣いていた。
八
祖母に死別れて悲しかったが、其頃はまだ子供だったから、十分に人間死別の悲しみを汲分け得なかった。その悲しみの底を割ったと思われるのは、其後《そののち》両親《りょうしん》に死なれた時である。
去る者日々に疎《うと》しとは一わたりの道理で、私のような浮世の落伍者は反《かえっ》て年と共に死んだ親を慕う心が深く、厚く、濃《こまや》かになるようだ。
去年の事だ。私は久振《ひさしぶり
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