「や、人間以上で神に近い人である。
 斯う思うと、時としては斯うして人間を離れて芸術の神境に出入《しゅつにゅう》し得るお糸さんは尋常《ただ》の人間でないように思われる。お糸さんの人と為りは知らないが、歌に於て三味線に於てお糸さんは確に一個の芸術家である、事に寄ると、芸術家と自覚せぬ芸術家である。要するに、俗物でない。
 私も不肖ながら芸術家の端《はし》くれと信ずる。お糸さんの人となりは知らないでも、芸術家の心は唯芸術家のみ能《よ》く之を知る。此下宿に客多しと雖も、能《よ》くお糸さんを知る者は私の外にあるまい。私の心を解し得る者も、お糸さんの外には無い筈である……と思うと、まだ碌に物を言た事もないお糸さんだけれど、何だかお糸さんが生れぬ前《さき》からの友のように思われて、私は……ああ、私は……

          五十四

 私の下宿ではいつも朝飯《あさめし》が済んで下宿人が皆出払った跡で、緩《ゆッ》くり掃除や雑巾掛《ぞうきんがけ》をする事になっていた。お糸さんは奉公人でないから雑巾掛《ぞうきんがけ》には関係しなかったが、掃除だけは手伝っていたので、いつも其時分になると、お掃除致しましょうと言っては私の部屋へ来る。私は内々《ないない》其を心待にしていて、来ると急いで部屋を出て椽側を彷徨《うろつ》く。彷徨《うろつ》きながら、見ぬ振をして横目でチョイチョイ見ていると、お糸さんが赤い襷《たすき》に白地の手拭を姉様冠《あねさまかぶ》りという甲斐々々しい出立《いでたち》で、私の机や本箱へパタパタと払塵《はたき》を掛けている。其を此方《こッち》から見て居ると、お糸さんが何だか斯う私の何かのような気がして、嬉しくなって、斯うした処も悪くないなと思う。
 ところが、お糸さんが三味線《さみせん》を弾《ひ》いた翌朝《あくるあさ》の事であった。万事が常よりも不手廻《ふてまわ》りで、掃除にもいつも来るお糸さんが来ないで、小女《ちび》が代りに来たから、私は不平に思って、如何《どう》したのだと詰《なじ》るようにいうと、今日はお竹どんが病気で寝ているので、受持なんぞの事を言っていられないのだと云う。其なら仕方が無いようなものだけれど、小女《ちび》のは掃除するのじゃなくて、埃《ほこり》をほだてて行くのだから、私が叱り付けてやったら、小女《ちび》は何だか沸々《ぶつぶつ》言って出て行った。
 暫くして
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