рヘ立派な小狐家《おぎつねけ》の書生だ。伯父さんの先生の畜生《ちくしょう》、自分からが其気で居ると見えて、或時|人《ひと》に対《むか》って家《うち》の書生がといっていた。既に相手方が右の始末だから、無理もない話だが、出入《でいり》の者が皆|矢張《やっぱり》私を然う思って、書生扱にする。不平で不平で耐《たま》らないが、一々弁解もして居られんから、私は誠に拠《よん》どころなく不承々々に小狐家の書生にされて了って、而《そう》して月々食料を払っていた。
が、今となって考えて見ると、不平に思ったのは私が未だ若かったからだ。監督を頼まれたから、引受けて、序《ついで》に書生にして使う、――これが即ち親切というもので、此の外に別に親切というものは、人間に無いのだ。有るかも知れんが、私は一寸《ちょっと》見当らない。
三十二
体好く書生にされて私は忌々《いまいま》しくてならなかったが、しかし其でも小狐家《おぎつねけ》を出て了う気にはならなかった。初の中《うち》は国元へも折々の便《たより》に不平を漏して遣ったが、其も後《のち》には弗《ふつ》と止めて了った。さればといって家《うち》での取扱いが変ったのではない。相変らず書生扱にされて、小《こ》ッ甚《ぴど》くコキ使われ、果は下女の担任であった靴磨きをも私の役に振替えられて了った。無論其時は私は憤激した。余程《よッぽど》下宿しようかと思った、が、思ったばかりで、下宿もせんで、為《さ》せられる儘に靴磨きもして、而《そう》して国元へは其を隠して居た。少し妙なようだが、なに、妙でも何でもない。私は実は雪江さんに惚れていたので。
惚れては居たが、夫だから雪江さんを如何《どう》しようという気はなかった。其時分は私もまだ初心《うぶ》だったから、正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。女を弄《もてあそ》ぶのは何故だか左程の罪悪とも思って居なかったが、苟《いやしく》も男児たる者が女なんぞに惚れて性根《しょうね》を失うなどと、そんな腐った、そんなやくざな根性で何が出来ると息巻いていた。が、口で息巻く程には心で思っていなかったから、自分もいつか其程に擯斥《ひんせき》する恋に囚《とら》われて了ったのだが、流石《さすが》に囚《とら》われたのを恥て、明かに然うと自認し得なかった気味がある。から、若《もし》其頃誰かが面と向って私に然うと注
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