「フム乙《おつ》う山口を弁護するネ、やっぱり同病|相憐《あいあわ》れむのか、アハアハアハ」
高い男は中背の男の顔を尻眼《しりめ》にかけて口を鉗《つぐ》んでしまッたので談話《はなし》がすこし中絶《とぎ》れる。錦町《にしきちょう》へ曲り込んで二ツ目の横町の角まで参った時、中背の男は不図《ふと》立止って、
「ダガ君の免を喰《くっ》たのは、弔すべくまた賀すべしだぜ」
「何故」
「何故と言って、君、これからは朝から晩まで情婦《いろ》の側《そば》にへばり付いている事が出来らアネ。アハアハアハ」
「フフフン、馬鹿を言給うな」
ト高い男は顔に似気《にげ》なく微笑を含み、さて失敬の挨拶《あいさつ》も手軽るく、別れて独り小川町《おがわまち》の方へ参る。顔の微笑が一かわ一かわ消え往くにつれ、足取も次第々々に緩《ゆるや》かになって、終《つい》には虫の這《は》う様になり、悄然《しょんぼり》と頭《こうべ》をうな垂れて二三町程も参ッた頃、不図《ふと》立止りて四辺《あたり》を回顧《みまわ》し、駭然《がいぜん》として二足三足立戻ッて、トある横町へ曲り込んで、角から三軒目の格子戸《こうしど》作りの二階家へ這入《はい》る。一所《いっしょ》に這入ッて見よう。
高い男は玄関を通り抜けて縁側へ立出《たちいで》ると、傍《かたわら》の坐舗《ざしき》の障子がスラリ開《あ》いて、年頃十八九の婦人の首、チョンボリとした摘《つまみ》ッ鼻《ぱな》と、日の丸の紋を染抜いたムックリとした頬とで、その持主の身分が知れるという奴が、ヌット出る。
「お帰《かいん》なさいまし」
トいって、何故か口舐《くちなめ》ずりをする。
「叔母さんは」
「先程《さっき》お嬢さまと何処《どち》らへか」
「そう」
ト言捨てて高い男は縁側を伝《つたわ》って参り、突当りの段梯子《だんばしご》を登ッて二階へ上る。ここは六畳の小坐舗《こざしき》、一間の床《とこ》に三尺の押入れ付、三方は壁で唯南ばかりが障子になッている。床に掛けた軸は隅々《すみずみ》も既に虫喰《むしば》んで、床花瓶《とこばないけ》に投入れた二本三本《ふたもとみもと》の蝦夷菊《えぞぎく》は、うら枯れて枯葉がち。坐舗の一隅《いちぐう》を顧みると古びた机が一脚|据《す》え付けてあッて、筆、ペン、楊枝《ようじ》などを掴挿《つかみざ》しにした筆立一個に、歯磨《はみがき》の函《はこ》と肩を比《なら》べた赤間《あかま》の硯《すずり》が一面載せてある。机の側《かたわら》に押立たは二本|立《だち》の書函《ほんばこ》、これには小形の爛缶《ランプ》が載せてある。机の下に差入れたは縁《ふち》の欠けた火入、これには摺附木《すりつけぎ》の死体《しがい》が横《よこたわ》ッている。その外坐舗一杯に敷詰めた毛団《ケット》、衣紋竹《えもんだけ》に釣るした袷衣《あわせ》、柱の釘《くぎ》に懸けた手拭《てぬぐい》、いずれを見ても皆年数物、その証拠には手擦《てず》れていて古色|蒼然《そうぜん》たり。だが自《おのずか》ら秩然と取旁付《とりかたづい》ている。
高い男は徐《しず》かに和服に着替え、脱棄てた服を畳みかけて見て、舌鼓《したつづみ》を撃ちながらそのまま押入へへし込んでしまう。ところへトパクサと上ッて来たは例の日の丸の紋を染抜いた首の持主、横幅《よこはば》の広い筋骨の逞《たくま》しい、ズングリ、ムックリとした生理学上の美人で、持ッて来た郵便を高い男の前に差置いて、
「アノー先刻《さっき》この郵便が」
「ア、そう、何処から来たんだ」
ト郵便を手に取って見て、
「ウー、国からか」
「アノネ貴君《あなた》、今日のお嬢さまのお服飾《なり》は、ほんとにお目に懸けたいようでしたヨ。まずネ、お下着が格子縞の黄八丈《きはちじょう》で、お上着はパッとした|宜引[#「引」は小書き右寄せ]縞《いいしま》の糸織で、お髪《ぐし》は何時《いつ》ものイボジリ捲きでしたがネ、お掻頭《かんざし》は此間《こないだ》出雲屋《いずもや》からお取んなすったこんな」
と故意々々《わざわざ》手で形を拵《こし》らえて見せ、
「薔薇《ばら》の花掻頭《はなかんざし》でネ、それはそれはお美しゅう御座いましたヨ……私もあんな帯留が一ツ欲しいけれども……」
ト些《すこ》し塞《ふさ》いで、
「お嬢さまはお化粧なんぞはしないと仰《おっ》しゃるけれども、今日はなんでも内々で薄化粧なすッたに違いありませんヨ。だってなんぼ色がお白《しろい》ッてあんなに……私《わたくし》も家《うち》にいる時分はこれでもヘタクタ施《つ》けたもんでしたがネ、此家《こちら》へ上ッてからお正月ばかりにして不断は施けないの、施けてもいいけれども御新造《ごしんぞ》さまの悪口が厭《いや》ですワ、だッて何時《いつう》かもお客様のいらッしゃる前で、『鍋《なべ》のお白粉《しろい》を
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