《ちが》いのあるのは服飾《みなり》。白木屋《しろきや》仕込みの黒物《くろいもの》ずくめには仏蘭西《フランス》皮の靴《くつ》の配偶《めおと》はありうち、これを召す方様《かたさま》の鼻毛は延びて蜻蛉《とんぼ》をも釣《つ》るべしという。これより降《くだ》っては、背皺《せじわ》よると枕詞《まくらことば》の付く「スコッチ」の背広にゴリゴリするほどの牛の毛皮靴、そこで踵《かかと》にお飾を絶《たや》さぬところから泥《どろ》に尾を曳《ひ》く亀甲洋袴《かめのこズボン》、いずれも釣《つる》しんぼうの苦患《くげん》を今に脱せぬ貌付《かおつき》。デモ持主は得意なもので、髭あり服あり我また奚《なに》をか※[#「不/見」、第3水準1−91−88]《もと》めんと済した顔色《がんしょく》で、火をくれた木頭《もくず》と反身《そっくりかえ》ッてお帰り遊ばす、イヤお羨《うらやま》しいことだ。その後《あと》より続いて出てお出でなさるは孰《いず》れも胡麻塩《ごましお》頭、弓と曲げても張の弱い腰に無残や空《から》弁当を振垂《ぶらさ》げてヨタヨタものでお帰りなさる。さては老朽してもさすがはまだ職に堪《た》えるものか、しかし日本服でも勤められるお手軽なお身の上、さりとはまたお気の毒な。
途上|人影《ひとけ》の稀《ま》れに成った頃、同じ見附の内より両人《ふたり》の少年《わかもの》が話しながら出て参った。一人は年齢《ねんぱい》二十二三の男、顔色は蒼味《あおみ》七分に土気三分、どうも宜《よろ》しくないが、秀《ひいで》た眉《まゆ》に儼然《きっ》とした眼付で、ズーと押徹《おしとお》った鼻筋、唯《ただ》惜《おしい》かな口元が些《ち》と尋常でないばかり。しかし締《しまり》はよさそうゆえ、絵草紙屋の前に立っても、パックリ開《あ》くなどという気遣《きづか》いは有るまいが、とにかく顋が尖《とが》って頬骨が露《あらわ》れ、非道《ひど》く※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1−88−62]《やつ》れている故《せい》か顔の造作がとげとげしていて、愛嬌気《あいきょうげ》といったら微塵《みじん》もなし。醜くはないが何処《どこ》ともなくケンがある。背《せい》はスラリとしているばかりで左而已《さのみ》高いという程でもないが、痩肉《やせじし》ゆえ、半鐘なんとやらという人聞の悪い渾名《あだな》に縁が有りそうで、年数物ながら摺畳皺《たたみじわ》の存じた霜降《しもふり》「スコッチ」の服を身に纏《まと》ッて、組紐《くみひも》を盤帯《はちまき》にした帽檐広《つばびろ》な黒|羅紗《ラシャ》の帽子を戴《いただ》いてい、今一人は、前の男より二ツ三ツ兄らしく、中肉中背で色白の丸顔、口元の尋常な所から眼付のパッチリとした所は仲々の好男子ながら、顔立がひねてこせこせしているので、何となく品格のない男。黒羅紗の半「フロックコート」に同じ色の「チョッキ」、洋袴は何か乙な縞《しま》羅紗で、リュウとした衣裳附《いしょうづけ》、縁《ふち》の巻上ッた釜底形《かまぞこがた》の黒の帽子を眉深《まぶか》に冠《かぶ》り、左の手を隠袋《かくし》へ差入れ、右の手で細々とした杖《つえ》を玩物《おもちゃ》にしながら、高い男に向い、
「しかしネー、若《も》し果して課長が我輩を信用しているなら、蓋《けだ》し已《や》むを得ざるに出《い》でたんだ。何故《なぜ》と言ッて見給え、局員四十有余名と言やア大層のようだけれども、皆《みんな》腰の曲ッた老爺《じいさん》に非《あら》ざれば気の利《き》かない奴《やつ》ばかりだろう。その内で、こう言やア可笑《おか》しい様だけれども、若手でサ、原書も些《ちっ》たア噛《かじ》っていてサ、そうして事務を取らせて捗《はか》の往《い》く者と言ったら、マア我輩二三人だ。だから若し果して信用しているのなら、已《やむ》を得ないのサ」
「けれども山口を見給え、事務を取らせたらあの男程捗の往く者はあるまいけれども、やっぱり免を喰《く》ったじゃアないか」
「彼奴《あいつ》はいかん、彼奴は馬鹿だからいかん」
「何故」
「何故と言って、彼奴は馬鹿だ、課長に向って此間《こないだ》のような事を言う所を見りゃア、弥《いよいよ》馬鹿だ」
「あれは全体課長が悪いサ、自分が不条理な事を言付けながら、何にもあんなに頭ごなしにいうこともない」
「それは課長の方が或は不条理かも知れぬが、しかし苟《いやしく》も長官たる者に向って抵抗を試みるなぞというなア、馬鹿の骨頂だ。まず考えて見給え、山口は何んだ、属吏じゃアないか。属吏ならば、仮令《たと》い課長の言付を条理と思ったにしろ思わぬにしろ、ハイハイ言ってその通り処弁《しょべん》して往きゃア、職分は尽きてるじゃアないか。然《しか》るに彼奴のように、苟も課長たる者に向ってあんな差図がましい事を……」
「イヤあれは指図じゃアない、注意サ」
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