なく心嬉しくなって、莞爾《にっこり》した。それからは例の妄想《もうそう》が勃然《ぼつぜん》と首を擡《もた》げて抑えても抑え切れぬようになり、種々《さまざま》の取留《とりとめ》も無い事が続々胸に浮んで、遂には総《すべ》てこの頃の事は皆文三の疑心から出た暗鬼で、実際はさして心配する程の事でも無かったかとまで思い込んだ。が、また心を取直して考えてみれば、故無くして文三を辱《はずかし》めたといい、母親に忤《さから》いながら、何時しかそのいうなりに成ったといい、それほどまで親かった昇と俄に疏々《うとうと》しくなったといい、――どうも常事《ただごと》でなくも思われる。と思えば、喜んで宜いものか、悲んで宜いものか、殆ど我にも胡乱《うろん》になって来たので、あたかも遠方から撩《こそぐ》る真似をされたように、思い切っては笑う事も出来ず、泣く事も出来ず、快と不快との間に心を迷せながら、暫く縁側を往きつ戻りつしていた。が、とにかく物を云ったら、聞いていそうゆえ、今にも帰ッて来たら、今一度運を試して聴かれたらその通り、若し聴かれん時にはその時こそ断然叔父の家を辞し去ろうと、遂にこう決心して、そして一《ひ》と先《まず》二階へ戻った。
底本:「浮雲」新潮文庫、新潮社
1951(昭和26)年12月15日初版発行
1997(平成9)年4月10日81刷
初出:「新編浮雲」金港堂
1887(明治20)年6月発行
※「※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]」と「匆」、「※[#「者」の「日」に代えて「至」、第4水準2−85−3]」と「耋」、「掻頭」と「挿頭」、「座舗」と「坐舗」の混在は底本通りです。
入力:佐野暢之、任天堂
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年12月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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