謔闥c子と思詰めた顔色《がんしょく》、去りとはまた苦々しい。ト何処かの隠居が、菊細工を観ながら愚痴を滴《こぼ》したと思食《おぼしめ》せ。(看官)何だ、つまらない。
閑話|不題《ふうだい》。
轟然《ごうぜん》と飛ぶが如くに駆来《かけきた》ッた二台の腕車《くるま》がピッタリと停止《とま》る。車を下りる男女三人の者はお馴染《なじみ》の昇とお勢|母子《おやこ》の者で。
昇の服装《みなり》は前文にある通り。
お政は鼠微塵《ねずみみじん》の糸織の一ツ小袖に黒の唐繻子《とうじゅす》の丸帯、襦袢《じゅばん》の半襟《はんえり》も黒|縮緬《ちりめん》に金糸でパラリと縫の入《い》ッた奴か何かで、まず気の利いた服飾《こしらえ》。
お勢は黄八丈の一ツ小袖に藍鼠金入繻珍《あいねずみきんいりしゅちん》の丸帯、勿論《もちろん》下にはお定《さだま》りの緋縮緬《ひぢりめん》の等身《ついたけ》襦袢、此奴《こいつ》も金糸で縫の入《い》ッた水浅黄《みずあさぎ》縮緬の半襟をかけた奴で、帯上はアレハ時色《ときいろ》縮緬、統括《ひっくる》めて云えばまず上品なこしらえ。
シカシ人足《ひとあし》の留まるは衣裳附《いしょうづけ》よりは寧《むし》ろその態度で、髪も例《いつも》の束髪ながら何とか結びとかいう手のこんだ束ね方で、大形の薔薇《ばら》の花挿頭《はなかんざし》を挿《さ》し、本化粧は自然に背《そむ》くとか云ッて薄化粧の清楚《せいそ》な作り、風格|※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]神《ぼうしん》共に優美で。
「色だ、ナニ夫婦サ」と法界悋気《ほうかいりんき》の岡焼連が目引袖引《めひきそでひき》取々に評判するを漏聞く毎《ごと》に、昇は得々として機嫌《きげん》顔、これ見よがしに母子《おやこ》の者を其処茲処《そこここ》と植木屋を引廻わしながらも片時と黙してはいない。人の傍聞《かたえぎき》するにも関《かま》わず例の無駄《むだ》口をのべつに並べ立てた。
お勢も今日は取分け気の晴れた面相《かおつき》で、宛然《さながら》籠《かご》を出た小鳥の如くに、言葉は勿論|歩風《あるきぶり》身体《からだ》のこなしにまで何処ともなく活々《いきいき》としたところが有ッて冴《さえ》が見える。昇の無駄を聞ては可笑《おか》しがッて絶えず笑うが、それもそうで、強《あなが》ち昇の言事《いうこと》が可笑しいからではなく、黙ッていても自然《おのず》と可笑しいからそれで笑うようで。
お政は菊細工には甚《はなは》だ冷淡なもので、唯「綺麗だことネー」ト云ッてツラリと見亘《みわた》すのみ。さして眼を注《と》める様子もないが、その代りお勢と同年配頃の娘に逢えば、叮嚀《ていねい》にその顔貌風姿《かおかたち》を研窮《けんきゅう》する。まず最初に容貌《かおだち》を視て、次に衣服《なり》を視て、帯を視て爪端《つまさき》を視て、行過ぎてからズーと後姿《うしろつき》を一|瞥《べつ》して、また帯を視て髪を視て、その跡でチョイとお勢を横目で視て、そして澄ましてしまう。妙な癖も有れば有るもので。
昇等三人の者は最後に坂下の植木屋へ立寄ッて、次第々々に見物して、とある小舎《こや》の前に立止ッた。其処に飾付《かざりつけ》て在ッた木像《にんぎょう》の顔が文三の欠伸《あくび》をした面相《かおつき》に酷《よ》く肖《に》ているとか昇の云ッたのが可笑しいといって、お勢が嬌面《かお》に袖を加《あ》てて、勾欄《てすり》におッ被《かぶ》さッて笑い出したので、傍《かたわら》に鵠立《たたずん》でいた書生|体《てい》の男が、俄《にわか》に此方《こちら》を振向いて愕然《がくぜん》として眼鏡越しにお勢を凝視《みつ》めた。「みッともないよ」ト母親ですら小言を言ッた位で。
漸くの事で笑いを留《とど》めて、お勢がまだ莞爾々々《にこにこ》と微笑のこびり付ている貌《かお》を擡《もた》げて傍《そば》を視ると、昇は居ない。「オヤ」ト云ッてキョロキョロと四辺《あたり》を環視《みま》わして、お勢は忽ち真面目《まじめ》な貌をした。
と見れば後《あと》の小舎《こや》の前で、昇が磬折《けいせつ》という風に腰を屈《かが》めて、其処に鵠立《たたずん》でいた洋装紳士の背《せなか》に向ッて荐《しき》りに礼拝していた。されども紳士は一向心附かぬ容子《ようす》で、尚お彼方《あちら》を向いて鵠立《たたずん》でいたが、再三再四|虚辞儀《からじぎ》をさしてから、漸くにムシャクシャと頬鬚《ほおひげ》の生弘《はえひろが》ッた気むずかしい貌を此方《こちら》へ振向けて、昇の貌を眺め、莞然《にっこり》ともせず帽子も被ッたままで唯|鷹揚《おうよう》に点頭《てんとう》すると、昇は忽ち平身低頭、何事をか喃々《くどくど》と言いながら続けさまに二ツ三ツ礼拝した。
紳士の随伴《つれ》と見える両人《ふたり》の婦人
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