霜降《しもふり》「スコッチ」の服を身に纏《まと》ッて、組紐《くみひも》を盤帯《はちまき》にした帽檐広《つばびろ》な黒|羅紗《ラシャ》の帽子を戴《いただ》いてい、今一人は、前の男より二ツ三ツ兄らしく、中肉中背で色白の丸顔、口元の尋常な所から眼付のパッチリとした所は仲々の好男子ながら、顔立がひねてこせこせしているので、何となく品格のない男。黒羅紗の半「フロックコート」に同じ色の「チョッキ」、洋袴は何か乙な縞《しま》羅紗で、リュウとした衣裳附《いしょうづけ》、縁《ふち》の巻上ッた釜底形《かまぞこがた》の黒の帽子を眉深《まぶか》に冠《かぶ》り、左の手を隠袋《かくし》へ差入れ、右の手で細々とした杖《つえ》を玩物《おもちゃ》にしながら、高い男に向い、
「しかしネー、若《も》し果して課長が我輩を信用しているなら、蓋《けだ》し已《や》むを得ざるに出《い》でたんだ。何故《なぜ》と言ッて見給え、局員四十有余名と言やア大層のようだけれども、皆《みんな》腰の曲ッた老爺《じいさん》に非《あら》ざれば気の利《き》かない奴《やつ》ばかりだろう。その内で、こう言やア可笑《おか》しい様だけれども、若手でサ、原書も些《ちっ》たア噛《かじ》っていてサ、そうして事務を取らせて捗《はか》の往《い》く者と言ったら、マア我輩二三人だ。だから若し果して信用しているのなら、已《やむ》を得ないのサ」
「けれども山口を見給え、事務を取らせたらあの男程捗の往く者はあるまいけれども、やっぱり免を喰《く》ったじゃアないか」
「彼奴《あいつ》はいかん、彼奴は馬鹿だからいかん」
「何故」
「何故と言って、彼奴は馬鹿だ、課長に向って此間《こないだ》のような事を言う所を見りゃア、弥《いよいよ》馬鹿だ」
「あれは全体課長が悪いサ、自分が不条理な事を言付けながら、何にもあんなに頭ごなしにいうこともない」
「それは課長の方が或は不条理かも知れぬが、しかし苟《いやしく》も長官たる者に向って抵抗を試みるなぞというなア、馬鹿の骨頂だ。まず考えて見給え、山口は何んだ、属吏じゃアないか。属吏ならば、仮令《たと》い課長の言付を条理と思ったにしろ思わぬにしろ、ハイハイ言ってその通り処弁《しょべん》して往きゃア、職分は尽きてるじゃアないか。然《しか》るに彼奴のように、苟も課長たる者に向ってあんな差図がましい事を……」
「イヤあれは指図じゃアない、注意サ」
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