誤られ、痔持の療治をするように矢鱈無性に勧懲々々というは何事ぞと、近頃二三の学者先生|切歯《はがみ》をしてもどかしがられたるは御尤千万とおぼゆ。主人の美術定義を拡充して之を小説に及ぼせばとて同じ事なり。抑々小説は浮世に形《あら》われし種々雑多の現象(形)の中にて其自然の情態(意)を直接に感得するものなれば、其感得を人に伝えんにも直接ならでは叶わず。直接ならんとには摸写ならでは叶わず。されば摸写は小説の真面目なること明白なり。夫の勧懲小説とは如何なるものぞ。主実主義(リアリズム)を卑んじて二神教(ヂュアリズム)を奉じ、善は悪に勝つものとの当《あて》推量を定規として世の現象を説んとす。是れ教法の提灯持のみ、小説めいた説教のみ。豈《あ》に呼で真の小説となすにたらんや。さはいえ摸写々々とばかりにて如何なるものと論定《ろんじさだ》めておかざれば、此方にも胡乱《うろん》の所あるというもの。よって試に其大略を陳《のべ》んに、摸写といえることは実相を仮りて虚相を写し出すということなり。前にも述し如く実相界にある諸現象には自然の意なきにあらねど、夫の偶然の形に蔽われて判然とは解らぬものなり。小説に摸写せ
前へ
次へ
全8ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング