小説総論
二葉亭四迷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)孰《いずれ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)常ならざる者|豈《あに》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)二二※[#小書き片仮名ン、237−11]が四
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人物の善悪を定めんには我に極美(アイデアル)なかるべからず。小説の是非を評せんには我に定義なかる可らず。されば今書生気質の批評をせんにも予め主人の小説本義を御風聴して置かねばならず。本義などという者は到底面白きものならねば読むお方にも退屈なれば書く主人にも迷惑千万、結句ない方がましかも知らねど、是も事の順序なれば全く省く訳にもゆかず。因て成るべく端折って記せば暫時の御辛抱を願うになん。
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 凡そ形(フホーム)あれば茲に意(アイデア)あり。意は形に依って見われ形は意に依って存す。物の生存の上よりいわば、意あっての形形あっての意なれば、孰《いずれ》を重とし孰を軽ともしがたからん。されど其持前の上よりいわば意こそ大切なれ。意は内に在ればこそ外に形《あら》われもするなれば、形なくとも尚在りなん。されど形は意なくして片時も存すべきものにあらず。意は己の為に存し形は意の為に存するものゆえ、厳敷《きびしく》いわば形の意にはあらで意の形をいう可きなり。夫の米《べー》リンスキー[#ここから割り注]魯国の批評家[#ここで割り注終わり]が世間唯一意匠ありて存すといわれしも強ちに出放題にもあるまじと思わる。
 形とは物なり。物動いて事を生ず。されば事も亦形なり。意物に見《あら》われし者、之を物の持前という。物質の和合也。其事に見われしもの之を事の持前というに、事の持前は猶物の持前の如く、是亦形を成す所以のものなり。火の形に熱の意あれば水の形にも冷の意あり。されば火を見ては熱を思い、水を見ては冷を思い、梅が枝に囀《さえ》ずる鶯の声を聞ときは長閑《のどか》になり、秋の葉末に集《すだ》く虫の音を聞ときは哀を催す。若し此の如く我感ずる所を以て之を物に負わすれば、豈《あ》に天下に意なきの事物あらんや。
 斯くいえばとて、強ちに実際にある某の事某の物の中に某の意全く見われたりと思うべからず。某の事物には各其特有の形状備りあれば、某の意も之が為に隠蔽せらるる所ありて明白に見われがたし。之を譬うるに張三も人なり、李四も亦人なり。人に二なければ差別あるべき筈なし。然るに此二人のものを見て我感ずる所に差別あるは何ぞや。人の意尽く張三に見われたりといわんか夫の李四を如何。若《もし》李四に見われたりといわんか夫の張三を如何。して見れば張三も李四も人は人に相違なけれど、是れ人の一種にして真の人にあらず。されば未だ全く人の意を見わすに足らず。蓋《けだ》し人の意は我脳中の人に於て見わるるものなれど、実際箇々の人に於て全く見わるるものにあらず。其故如何と尋るに、実際箇々の人に於ては各々自然に備わる特有の形ありて、夫の人の意も之が為に妨げられ遂に全く見われ難きによるなり。故曰、形は偶然のものにして変更常ならず、意は自然のものにして万古易らず。易らざる者は以て当《あて》にすべし、常ならざる者|豈《あに》当《あて》にならんや。
 偶然の中に於て自然を穿鑿し種々の中に於て一致を穿鑿するは、性質の需要とて人間にはなくて叶わぬものなり。穿鑿といえど為方《しかた》に両様あり。一は智識を以て理会する学問上の穿鑿、一は感情を以て感得する美術上の穿鑿是なり。
 智識は素と感情の変形、俗に所謂智識感情とは、古参の感情新参の感情といえることなりなんぞと論じ出しては面倒臭く、結句|迷惑《まごつき》の種を蒔くようなもの。そこで使いなれた智識感情といえる語を用いていわんには、大凡世の中万端の事智識ばかりでもゆかねば又感情ばかりでも埒明かず。二二※[#小書き片仮名ン、237−11]が四といえることは智識でこそ合点すべけれど、能く人の言うことながら、清元《きよもと》は意気で常磐津《ときわず》は身《み》があるといえることは感情ならでは解《わか》らぬことなり。智識の眼より見るときは、清元にもあれ常磐津にもあれ凡そ唱歌といえるものは皆人間の声に調子を付けしものにて、其調子に身の有るものは常磐津となり意気なものは清元となると、先ず斯様に言わねばならぬ筈。されど若し其の身のある調子とか意気な調子とかいうものは如何なもので御座る、拙者未だ之を食うたことは御座らぬと、剽軽者あって問を起したらんには、よしや富婁那《ふるな》の弁ありて一年三百六十日|饒舌《しゃべ》り続けに饒舌りしとて此返答は為切《しき》れまじ。さる無駄
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