「足へん+宛」、第3水準1−92−36]死《もがきじに》に死ぬことを風の便《たより》にも知ろうようがない。ああ、母上にも既《も》う逢えぬ、いいなずけのマリヤにも既《も》う逢えぬ。おれの恋ももう是限《これぎり》か。ええ情けない! と思うと胸が一杯になって……
えい、また白犬めが。番人も酷《むご》いぞ、頭を壁へ叩付けて置いて、掃溜《はきだめ》へポンと抛込《ほうりこ》んだ。まだ息気《いき》が通《かよ》っていたから、それから一日苦しんでいたけれど、彼犬《あのいぬ》に視《くら》べればおれの方が余程《よッぽど》惨憺《みじめ》だ。おれは全《まる》三日苦しみ通しだものを。明日《あす》は四日目、それから五日目、六日目……死神は何処に居《お》る? 来てくれ! 早く引取ってくれ!
なれど死神は来てくれず、引取ってもくれぬ。此凄まじい日に照付られて、一滴水も飲まなければ、咽喉《のど》の炎《も》えるを欺《だま》す手段《てだて》なく剰《あまつ》さえ死人《しびと》の臭《かざ》が腐付《くさりつ》いて此方《こちら》の体も壊出《くずれだ》しそう。その臭《かざ》の主《ぬし》も全くもう溶《とろ》けて了って、ポタリポタリと落来る無数の蛆《うじ》は其処らあたりにうようよぞろぞろ。是に食尽《はみつく》されて其主が全く骨と服ばかりに成れば、其次は此方《こッち》の番。おれも同じく此姿になるのだ。
その日は暮れる、夜が明ける、何も変った事がなくて、朝になっても同じ事。また一日を空《あだ》に過す……
山査子《さんざし》の枝が揺れて、ざわざわと葉摺《はずれ》の音、それが宛然《さながら》ひそめきたって物を云っているよう。「そら死ぬそら死ぬそら死ぬ」と耳の端《はた》で囁《ささや》けば、片々《かたかた》の耳元でも懐しい面《かお》「もう見えぬもう見えぬもう見えぬ」
「見えん筈じゃ、此様《こん》な処《とこ》に居《お》るじゃもの、」
と声高《こえだか》に云う声が何処か其処らで……
ぶるぶるとしてハッと気が付くと、隊の伍長のヤーコウレフが黒眼勝の柔《やさ》しい眼で山査子《さんざし》の間《あいだ》から熟《じっ》と此方《こちら》を覗いている光景《ようす》。
「鋤《すき》を持ち来い! まだ他《ほか》に二人おる。こやつも敵ぞ!」という。
「鋤《すき》は要らん、埋《うめ》ちゃいかん、活《いき》て居るよ!」
と云おうとしたが、ただ便
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