の放蕩の償ひをしなくちやならないなんて。
ノラ (左手のテーブルに向つて)多分、あなたのお父さんはアスパラガスや鳥の卵がお好きだつたでせうね?
ランク えゝ、それから菌《きのこ》も好きでした。
ノラ さうでせうね菌《きのこ》も。それからきつと牡蠣もお好きでしたらう?
ランク えゝ、牡蠣、牡蠣は勿論ですとも。
ノラ それから葡萄酒、シャンペン、皆お好きでしたらう? 全くみんな結構なものばかしだけど、それが背髓を惡くするなんてね、ホヽヽヽ。
ランク それも惡くなつた背髓が自分でそんなものを食つたわけぢやないんですからね。
ノラ えゝ、それが何よりもね。
ランク (探るやうな目付で女を見る)ふむ――
ノラ (ちよつとして)何をお笑ひなすつて?
ランク いゝや、お笑ひなすつたのは、貴女だ。
ノラ いゝえ、あなたですよ、先生、お笑ひなすつたのは。
ランク (立ち上りながら)あなた――あなたも相當なものですね。
ノラ 私、今日は氣が違ひさうなんです。(唐突に)
ランク さう、そんな風ですよ。
ノラ (兩手を男の肩にかけ)ね、先生、あなたをトル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルトや私から連れて行くことは死の力でも出來ませんわね。
ランク なあに、ゐなくなれば譯なく忘れておしまひなさる、去る者日々に疎しでね。
ノラ (心配氣に男の方を見る)さうでせうか?
ランク 新しい友達を拵へて、そして――
ノラ 誰が新しい友達を拵へるの?
ランク あなた方がさ、私のゐなくなつた後でね。現にあなたはもう機敏にその機會を捉へようとしてお出でのやうに見える。あのリンデンの奧さんといふのは、昨日ここで何をしてゐたのですか?
ノラ あら、あんなこと――クリスチナさんのことを妬いてらつしやるんですか?
ランク えゝ、妬けます。あの婦人が私の後繼になつてこの家へ這ひこむんでせう。私がゐなくなると、きつとあの人が――
ノラ 叱ッ! そんな大きな聲をして、あの方がそこにをりますよ。
ランク 今日も來てゐるんですか、さうれご覽なさい。
ノラ たゞ私の衣裳を直しにですよ――どうしてあなた、そんなに駄々をお捏ねなさる――(ソファに坐る)さあ、いゝ子におなんなさいよ、先生。私明日はね、本當に旨く踊つてみせますよ。その時には貴方、私が貴方を喜ばせたいばつかりに踊つてるのだと思つてらつしやい――無論それはトル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルトのためにもなんだけれど(箱の中から色々の物を取り出す)先生、こゝへお掛けなさい、お目にかけるものがありますわ。
ランク (坐りながら)何ですそれは?
ノラ さ、これ!
ランク 絹の靴下。
ノラ 肉色、綺麗でせう? おやどうしよう。暗くなつたこと、けど明日はね――あら、いけませんよ、踵の方ばかし見ていらつしやい、さ、もういゝわ、もう上の方を見てもよくつてよ。
ランク ふむ――(じろ/\眺める)
ノラ どうして、そんなにじつと眺めていらつしやるの? 私に似合はないこと。
ランク さあ何と云つたらいゝか。さうしたことは私にはわかりません。
ノラ (暫く男の方を見てゐて)まあ、いぢわる。(靴下で男の耳の處を輕く打つ)これが罰ですよ(靴下を元のやうに卷いておく)
ランク まだ外に何か珍らしいものがありますか?
ノラ もう、あなたには見せない。禮儀を知らないから。(ちよつと鼻唄を歌ひ、色々な物を探しまはる)
ランク (暫く默つてゐた後)かうして、あなた方と親しくして無駄口でも利いてると私はつくづくさう思ひますね、これが、もしまるでこの家に出入りをしなかつたら、私の身體はどうなつてるでせう?
ノラ (微笑しながら)さう思ふでせう? あなたは私どもへいらつしやると、全く樂しさうに見えますよ。
ランク (眞直に自分の前を見ながら、一層柔かな調子で)ところが、もう、すつかりそれも見納めにしなくちやならない――
ノラ 下らないこと、私どもを見限つていらつしやるには及びますまい。
ランク (前と同じ調子で)そして後には、何一つ禮をいはれるようなこともしておかないし、せめて當座だけでも氣の毒だと思つてくれる人もありません。――たゞもうゐなくなつて空虚が出來たといふだけで、そんなものは代りが來さへすれば直ぐ埋まつてしまふ。
ノラ ぢやあ、もし私がお頼みすることがあつたら――? 止しませう――
ランク どういふお頼みですか?
ノラ あなたのご友情の印に。
ランク ふむ――といふのは?
ノラ よさう/\。本當はね――大變な役目。
ランク 一生の思ひ出に是非それをさせて下さい。私はどんなにか嬉しいでせう。
ノラ だつて、あなた、どんなことだかご存じないぢやありませんか。
ランク ぢや、聞かせて下さい。
ノラ いけませんよ、本當にいへないんですよ。全く大變なことですも
前へ 次へ
全37ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島村 抱月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング