いるとともに、一方はきわめて散文的な、方便的な人生を観ている。この両端にさまよって、不定不安の生を営みながら、自分でも不満足だらけで過ごして行く。
 この点から考えると、世の一人生観に帰命《きみょう》して何らの疑惑をも感ぜずに行き得る人は幸福である。ましてそれを他人に宣伝するまでになった人はいよいよ幸福である。私にはすべてそれらのものが信ぜられず、あらが見えるように思われてならない。あるものは持って廻った捏造物《ねつぞうぶつ》だ、あるものは虚偽矯飾の申しわけだ、あるものは楯《たて》の半面に過ぎず、あるものはただの空華幻象に過ぎない。自分の知識が白い光をその上に投げると、これらのものは皆その粉塗していた色を失ってしまう、散文化し方便化してしまう。それを知らぬ振りに取りつくろって、自分でもその夢に酔って、世と跋《ばつ》を合わせて行くことは、私にはだんだん堪えがたくなって来た。自分の作った人生観さえ自分で信ずることの出来ない私であるから、まして他人の立てた人生観など、そのまま受け入れることの出来るものは一つもない。何ものをも批評するのが先になって、信ずることが出来ない、讃仰することが出来ない
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