\九年、アーチャー(William Archer)氏の飜譯が出來てからである。
 アメリカの方はイギリスよりも早く、千八百八十三年十二月、かの女優モッヂェスカによつて、ケンタッキー州ルイズヴ※[#小書き片仮名ヰ、150−11]ルで初めてノラをトラ(Thora)といふ題に變へて演じた。その結果はめでたく收まるやうに出來てゐたと傳へられるが、ドイツで用ひたものに基いたのか、それとも別の脚色を加へたのかは明かでない。
『人形の家』の英語に譯せられた初めは、原作の出た翌年千八百八十年でコーペンヘーゲンのヴェーベル(T. Weber)といふ人によつて『ノラ』と題して飜譯せられた。しかしこの譯者は英語の力の足りない人であつたため、頗るまづいものであつたといふ。次に出た飜譯は千八百八十二年イギリスのロード(Miss H. F. Lord)といふ婦人が同じく『ノラ』といふ題で譯したものである。イブセンを大膽なる女權論者として見た序文がついてゐる。次はモッヂェスがアメリカの興行に用ひたもので、女優の夫や書記やその他の人々相寄つて譯したものであるといふ。
 アーチャー氏の典據的な飜譯が出たのは千八百八十九
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