Iの全部ではありません。私の仕事は「人間の描寫」といふことでありました。勿論、かういふ描寫が合理的に眞實だと思はれると、讀者は自分の感情や氣持をその詩人の作中に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入して、それ等がみんな詩人のものであつたことになりますが、しかしそれは間違ひです。すべて讀者は皆てんでんの人格に從つて、その作を非常に美しい、綺麗なものに作りかへてしまひます。ただに作者ばかりでなく、讀者もまた詩人なのでありまして、彼等は作家の助手であり、時としては詩人みづからよりも一層詩的なのであります。(下略)」
 といつたのは、その「人間の描寫」といふことで、人生問題を暗示する意味を述べたものとみられる。けれどもそれと同時に、婦人問題を婦人問題として材料に用ふることも、初めからのイブセンの計畫であつたことは明かである。千八百七十九年すなはちこの劇の出來る年の七月、ローマからゴッス氏に宛てて送つた手紙は、
「小生は去る九月から家族とともにこの地にをります、そして大部分の時間は新に作りかけてゐる劇のことで塞いでゐます、もう間もなく出來上つて、十月には出版の運びになりませう。眞面目な劇で、近代の家庭状態、ことに結婚とからんだ諸問題を取り扱ふ、本當の家庭劇です。」
 と書いてある。たゞこんな結婚問題、家庭問題、婦人問題をとほして、その上に一段奧深い人生問題の氣持を加へたものと見ればよい。この種の思想なり問題なりは、藝術の中の粘着性となり眞實性となつて殘留する。普通の娯樂的藝術にはこの粘着性と眞實性とがない。感興藝術、情緒の遊戲、感情發散機關、これらの意味を有する娯樂的藝術と眞の藝術との間には、踰ゆべからざる、類の相違がある。

       三

『人形の家』の骨子となつてゐる着想は、早く十年前すなはち千八百六十九年の彼れの作『青年同盟』に現はれてゐる。傳記家イェーゲル氏は更にこれをその前の作『ペール・ギュント』に求めて、ヘルマーがノラに對する利己的性質は、ペール・ギュントがアニトラの愛に對する心持と同じであるとしてゐる(Henrik Ibsen : Jaeger)が、しかし中心人物たるノラの方からみた、婦人問題としての端緒はこゝにない。やはりこれを『青年同盟』に尋ぬべきである。すなはちその第三幕の終りで、ゼルマが夫のエーリック及びその父と
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