「、部屋の壁紙の色が望み通りの氣分を出してゐなかつた、ノラの手が適當な形をしてゐなかつた、といふやうな不滿足な點を擧げてゐたといふ。
なほ同年中にドイツのハムブルヒ、ドレスデン、ハノーヴェル、ベルリン等でこの劇が演ぜられ、それでノラを演じたヘドヴ※[#小書き片仮名ヰ、149−8]ヒ・ニーマン・ラアベ(Frau Hedwig Niemann−Raabe)は、ベルリンのドイツ座にゐたアグネス・ゾルマ[#「ゾルマ」は底本では「ブルマ」](Fau Agnes Sorma)に先だつてドイツにおける最代表的なノラの女優となつた。
ヴ※[#小書き片仮名ヰ、149−11]インでは千八百八十一年九月はじめて演ぜられた。ロシアでは有名な女優モッヂェスカ(Madame Modjeska)によつて千八百八十一年十一月ペテルスブルグで、また翌年ポーランドのウォルソウで初めて演ぜられた。ハンガリーのブダペストでは千八百八十九年初演、オランダのアムステルダムでも同年初演、ベルギーのブリュッセルでも同年初演、但しこれがフランス語で演ぜられた最初で、結末はめでたい方に變更せられてゐた。パリーで『人形の家』が公演せられたのは、ずつとおくれて千八百九十四年四月二十日、ジムナーズで、女優レジャーン(〔Mme. Re'jane〕)のノラのときが初めてゞある。イタリアでは女優デューゼ(Eleonora Duse)がこれを演ずるやうになつた前、千八百八十九年チューリン市で初めて演ぜられ、セルヴ※[#小書き片仮名ヰ、149−18]アでも同年にベルグレード市で初めて演ぜられた。
イギリスでは千八百八十四年三月三日ロンドンの王子座ではじめて『人形の家』の飜案が演ぜられた。これは『蝶潰し』と題する三幕ものでかの有名な喜劇作者ジョーンスと、ハーマンといふ物語作者との合作(Breaking a Butterfly by Henry A. Jones and H. Herman, founded on Ibsen's "Norah")であつた。その、つまらないものであつたことはいふまでもない。その次が翌年千八百八十五年三月、ロンドンの一素人劇クラブの催しで、初めて原作のまゝを私演したが、しかしこれはあまり眞面目なものでも、注意するほどのものでもなかつたといふ。イギリスにおける眞の『人形の家』の初演は、ずつとおくれて千八百八
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