рフ毒蜘蛛タランチユラに刺されたものが、筋肉の痙攣を起こして舞踏するやうな樣子をして苦しむところから、その形に似た踊の名となつたものだと言ひ傳へられてゐる)のことは、略筋にも草案にも全く出てゐない。完成本に始めて現はれてくる。從つて第二幕の如きは、ほとんどすべて完成本で見るやうな面白い場面を逸してゐる。結末、ノラが狂亂的にタランテラを踊つてヘルマーを引とめるところは、その代りに、ピアノをひいて、『ペール・ギュント』の中にあるアニトラの歌を唄つたり踊つたりするが、ランクとの對話でノラが踊りの衣裳を見せたり、絹の靴下でランクを打つたりする微妙なところはあり得ない。のみならずランクがノラに對して自分の心を打明ける前後から、ノラが「私にさういつて下すつたのが惡いんです。おつしやる必要はなかつたのでせう?」といふ臺詞の邊、この劇の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話として最も趣味の深い一節が草案ではまだほとんど出來てゐない。
 第三幕は草案と完成本と甚しく違つてゐない。こゝはノラをして婦人の自覺、解放を説かしめるところであるから、問題劇としては一篇の骨子にあたり、イブセンもおそらく初から動かすべからざる腹案を持つてゐて書いたのであらうと思はれる。それでも所々肝要のところに、草案から完成本へと改善せられて行つた跡が見える。領事シュテンボルグの假裝舞踏會といふのもなくタランテラ踊もないから、ノラは夜會服を着ただけで、夫婦は子供の會へ行く。あのじみな家の中に花やかな踊子姿をしたノラがでてきてこそ、後の大破裂の場面との色どりもおもしろいのであるが、草案ではまだその考へがついてゐなかつた。またランクが「この次の假裝會には、見えないものにならうと思ふ」といふやうなよい場面も出來てゐない。
 愈※[#二の字點、1−2−22]最後にノラとヘルマーとが對決するところ以下は、前にも言つた如く大體において草案と完成本と同一であるが、例へばノラが「お許し下すつてありがたうございます」といつて別室に這入り「人形の衣裳をぬぐのですよ」といふところは、その「人形の衣裳をぬぐ」といふことに全篇の意味と響應する象徴的な味があるのを、草案ではまだ「氣を落ちつけなくちやなりません、ちよつとの間」と極はめて無意味にいはせてある。またヘルマーが「幾ら愛する者の爲だつて、男が名譽を
前へ 次へ
全19ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島村 抱月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング