えつつ自由民権の思想を青年に浸潤させようために結ばれた政治結社だったが、明治二十三年に憲法が発布され国民議会が召集されY氏がその第一回議員に選ばれると、自由社を見捨ててしまった。Y氏が去ったあとにも自由社は残ったが、純然たる学術上の青年結社となったのであった。そうして毎年夏にはこの社の総会があって、中央の思想界の名士を招待して講演をしてもらう慣例となっていた。北野容一郎も実にその頃の自由社の青年達の間では有力な一人であったのだ。そうしてこの年の講演会には大学教授で有名な法律学者のO博士と、その頃あまり一般的ではなかったが『洪水』という月刊雑誌を出して一部の青年に自由と力と熱とを解放せよと宣伝し在来の権威を破ろうとしている青年思想家の天野一郎とを招待することになっていた。
お光と容一郎が大川村の浜辺で俊太郎に会ってから(俊太郎は山陰の米子港まで行くはずだった)二日経ったある朝のことであった。お光が門際に立って村の入口の森林に射す日の光を浴びていると郵便屋が電報を持って来た。兄あての電報であった。兄の特別あつらえの書斎は土蔵の後ろに建てられた新しい二階建であった。お光は胸に異様な動悸を感
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