たが、凍結した堅い大地の上にくり/\の雪が一、二寸も積っていた。彼は外套の頭巾をぬいで、手紙を読みつつ歩いた。
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……おゆるし下さいまし、おゆるし下さいまし、わたしが悪いのです、わたしが弱いのです。「何を怕《こわ》がるのです、今に僕も成長《おお》きくなります)、と仰有《おっしゃ》ったあなたのお言葉はこの手紙を書いている時でさえ弱いわたしの心に鳴り響いています。しかし、わたしは、平一郎さま、おゆるし下さいまし、母の言葉に従って他所へ嫁入るのです。わたしを思う存分に憎しみなすって下さいまし。わたしはあの去年の秋の手紙のこと以来母の強い叱責を受け、東京へ送られてしまったのです。あなたにお手紙を差しあげなかったのは差しあげる気がどうしてもしなかった故です。おゆるし下さいまし。……しかし、平一郎様、わたしは平一郎様をどうして忘れることが出来ましょう。わたしは長生きいたします、きっと。平一郎さま、短気を起こさずにほんとにえらくなって下さいまし。そしてこの哀れな背いた女を見反《みか》えるようになって下さいまし。……わたしの夫になる人はあなたとは十も年上の洋画家です――
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誤りではないかと彼は思って幾度となく読み返した。しかし読み返す必要はなかった。一度でもう彼はこの手紙の事実が真実であることを知ってしまったのだ。彼が感じた空虚な感じを失望というのであろうか。彼は学校でも幾何の問題を解いているときも、東洋史のイギリス人の印度征服の答を叙述しているときも、彼は和歌子のことを想っていた。どう想っているのか彼には分らない。ただ想っているのであった。それはたとえようのない空虚感。
印度の征服の問題にそれが歴史の答案であることを忘却して無茶苦茶に英国人の辛辣を攻撃して三枚ものべつに書いて彼は教室を誰よりも先に出て来た。控室から彼は運動場に出た。北国の冬に珍しい澄明な青い空だった。運動場一面に張り凍った氷に冬の陽光は輝いている。彼は和歌子の手紙をポケットからとり出して熟視せずにいられなかった。するとある一つの輝きが彼の頭脳に閃き彼は全身的に叫んだのだ。
「えらくなるぞ!」彼には和歌子を憎む情は微塵も起きなかった。彼は和歌子の(長生きいたします、きっと)を繰り返し読んでいると泉のように懐かしさが湧いて来た。えらくなる、えらくなる、えらくなって愛する和歌子と交わらずに置くものか! 彼は運動場を駈け廻りたくなった。氷はつる/\滑るによかった。彼は運動場の光った平面を滑って歩いた。全身が汗ばんで、新しい生気が溢れて来た。
「大河君」深井が近寄って来た。
「深井君。来たまえ!」深井が微笑を浮かべてやって来た。
「これを見たまえ」深井が受け取って読むのを、平一郎も息をはずませて見戍《みまも》っていた。
「和歌子さんは東京へ嫁に行ったのだ」こう言ったとき平一郎はさすがに寂しい取り返しのつかないことになった悲哀を感じた。深井は繰り返し繰り返し読んでいた。やがて頭を上げた彼の顔は蒼白であった。平一郎は深井から手紙を受け取ってもう一度、「えらくなるぞ!」と怒鳴った。
冬の光は二人を照していた。ひろごる輝ける氷の平面の彼方には、E山脈の荘厳な峯が白光を放っていた。
「大河君」
「何だい」
「僕のことは一言も書いてないね!」
「え※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」
平一郎は深井の白い顔に溢れ出る涙を見た。深井は洋服の腕を顔にあててたまらないようにせき上げせき上げ泣いた。
「深井君、どうしたのだ」と平一郎は彼の背をさすっているうちに、無意識の世界から(ああ、そうであったのか)と新しい認識が光り出でた。彼は深井の背をさするのを止めて黙然と立った。複雑な悲哀が彼を囚えてはなさなかった。涙が彼の両目にも溢れて来た。(それを知らぬわけではなかった。深井、許してくれ、知らぬわけではなかった。)彼は深井の手を握って許しを乞うように堅くふった。
自然の運行は無窮で始めなく終りはないであろうが、その廻り行く生成の姿は、ただ単調なリズムではない。ある時は全然無活動で平凡で単調であるが、ある時は嵐のように狂暴な力となって一時にあらゆる可能を尽さしめる。人間の運命にも、人が事件の過ぎ去った後で考えてみると、運命は実にそのリズムであることを信ぜずにはいられないことが多い。平一郎は和歌子の上京と結婚を知ってから、想いは未来の夢に燃えながら現実では空虚と暗鬱から到底逃れられなかった。――もし僕が二度この世に生まれて来るものなら、そして和歌子さんが同時に二度この世に生まれて来れるものなら、あるいは僕はこのままで思い切ることが出来るかも知れません。しかし僕には僕の一生は今のこの一つよりしかないものだと信じられます。僕は僕の生涯にどうあっても和歌子さん
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