しぼった。桜の樹や幹が朝日に美しく輝いている。彼は、椅子に腰かけて毎朝静かに莨《たばこ》をふかして独りを楽しむ時間を、彼の前に立っている男に闖入されたことが不快でならなかった。
「こういう手紙を発見しましたが、どう処置したものでございましょう。実に由々しい問題だと思います」
 こう言って教師は手垢で汚れた大きい西洋封筒を校長の卓上に載せた。校長は嫌でしかたなかった。それでも機械的にその封筒を取りあげて見た。「吉倉和歌子様 大河平一郎」校長は黙って読み下した。
[#ここから2字下げ]
 ――僕は運動会のないのが残念です、しかしその代り僕達の成績展覧会が開かれるのです。つまらない手先の器用な奴等が大きな顔をして威張っています。僕は何も出しませんでした。少し淋しい気がします。しかし僕はその日あなたに来て貰おうと思います。ここに僕の家族へあてた招待状があります、これを持って放課後来て下さい。僕は校門から小径の反対の方の丘の上できっと待っています。僕は本当にこの考えを思い付いてから狂いそうに嬉しくてならないのです。昨日の朝はK街の十字街で会いましたね。何故すまして行ったのです。この次はきっと笑って行かないと僕は怒ります――
[#ここで字下げ終わり]
 校長は微笑みかけようとしたが、彼の前に体操の教師が意地悪そうに覗き込んでいるので仕方なしに厳粛な顔付をした。
「怪しからんことです、一昨日、終会後校舎の周囲に異状がないかと思って巡回して見ましたら落ちていたのです。封を切ってあるところを見ると確かにその吉倉という女が落として行ったに相違ないものです」
 校長は平一郎の記憶を寄せ集めて考えていた。「僕は貧乏です」といった平一郎がそこにいた。(あの生徒なら、これ位のことをやったかも知れない)と校長は思った。校長は呼鈴をならした。小使に呼ばれて四年の受持の国語の教師はドアを押してはいって来た。
「大河平一郎はあなたの級の生徒ですな」
「ええ、そうです」
「ちょっとこれを見てくれたまえ」
 国語の教師はその手紙を読んだ。彼は体操の教師をちらと見て、校長と瞳をかわした。(いやな人間に見つかったものですな)と二人は話し合った。
「どうも驚きましたな」と国語の教師は言ったが、心の中では別にそう驚いてもいなかった。
「こういうことは本人を呼びよせて十分に事実を確かめて、事実であるなら将来を戒めるために厳しく懲戒処分にするがよいと思いますが――」
 二人は黙していた。体操の教師は二人の沈黙からある種の反感を獲取して、もう平一郎一人でなく彼等二人に対して不快な反抗で燃えて来た。
「学校内へ自分の情婦を入れるということは許すべからざる行為です。もう、停学処分をして将来を戒めなくてはよくないと思います」
「まあ、本人に事実を聞きたださなくては――果してこの和歌子というのがそういう関係のものかどうかも分らないしするし――」
 校長は小使に平一郎を呼ばさした。三人の沈黙へ、靴音高く平一郎がはいって来た。彼は直立不動の姿勢で、駈けて来たらしくぜい/\胸で息をした。国語の教師はどうかして、ここでこのまま内分に済ましたいと思って、わざと恐ろしい顔をして、
「大河」と言った。
「はい」
「お前、この手紙に覚えがあるか」
「はい――これは僕が和歌子さんにあげた手紙ですが、どうして――」
 彼は自分の魂をのぞかれた羞恥で赤くなった。同時に意地の悪い体操の教師が、今、弱者としての自分を虐《しいた》げようと眼を光らしているのを認識した。彼は自分に道徳上恥ずべきことは一つもない、今恥じる位なら初めから彼女に手紙は送らないのだ、と繰り返した。
「和歌子さんというのはお前の親類の人かい」国語の先生が言った。平一郎はそこに設けられた慈愛の遁路《にげみち》を感づいたけれど、超意思的に「いいえ」と答えてしまった。
「それじゃ、どうして知っているのだ」
「――僕の、僕の友人です」彼の声は顫えた。
「友人とは言われまい。え、親類でもないまだ若い娘にこういう手紙を書いて、よくない」
「――」
「吉倉和歌子というのはどういう人だ」
「高等女学校の四年生です」
「何のために手紙をやったのだ」
「会いたかったのです」
「会いたかったとは何だ!」と体操の教師が平一郎の頬を一つ擲りつけた。平一郎は充溢する血を総身に感じて、擲られた頬を抑えた。
「貴様、中学の生徒じゃないか。それに女学校の生徒に艶書を送って、しかも学校内へ呼びよせて、あいびき[#「あいびき」に傍点]するとは何ということだ! ――会いたかったとはなんだ!」
 校長も国語の教師もこうなっては口出しが出来ないことになった。
「貴様、政治家になるとか現代の政治家は堕落しているとか小生意気な口を言いながらこのざまはなんということだ! この次の朝笑わなかった
前へ 次へ
全91ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島田 清次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング