想を知らないようではだめだ!」と一時間をアレキサンダーの話でうずめること位は平気だった。E氏という二十二、三にしか見えない教師は英文法の講義しながら、
「僕の言っていることにどれだけ信用がおけるかは疑問である。この秋には僕もアメリカへ行きますから、帰ったら少しは本当のことを言えるかも知れません」と言った。京都の同志社を出たばかりの青年だったのだ。みな教師と言う気はしないらしかった。学校を出たのが昨日のような気のする連中だった。平一郎にはそれが嬉しかった。中年以上の人では学校の幹事の田中氏が聖書を、漢文をもと熊本の士族で同じく幹事であるK氏、自分一人で基督教主義の小学校を経営している柔和な老人の習字の教師、フランスへ青年時代に洋行して来たという古びた天鵞絨《ビロウド》の服を着て来る古い洋画家のF氏――そうした人達が平一郎に教えた。彼らは快活で楽天家だった。
 それよりも平一郎に深い印象を与えたのは、「礼拝」と「聖書の講義」である。高等学部裏のどんぐり林を横ぎって、新しい会堂の地下室の薄暗を通って階段を上ると、高い丘陵と橙色、紫、青、深紅の色硝子の窓の照り返しと、雄渾な大理石の円柱とによって森厳化された会堂の内部に出る。祭壇と壇下のピアノと壇上の大きなバイブルが、ひきしめている。学生は静かに椅子を占有する。黒いガウンを着た教師達が集まってくる。西洋人の教師も六、七人集まるのである。一しきりしいんと静まりかえるころきまって地下室から、花色の軽装をした金色の髪の毛の縮れた美しい西洋の女があがって来てピアノに坐るのだった。白皙《はくせき》な額と澄み切った眼とが深い学者的な感銘を与えずにおかないO氏が、白色の指揮棒を取って「讃美歌――番」と囁く。そしてピアノの伴奏と白い指揮棒の波動に導かれて教師も学生も各々がつくる大交響楽に聞きとれ、唱って止まなかった。これが宗教的熱誠だとは平一郎に思われなかった。しかし芸術的な陶酔には似通っている。彼は会堂に溢れる甘美な愉悦を見つめながら、彼自身それに酔う気はしなかった。
(女性的で、楽天的で、悦びが自分には浅すぎ、軽すぎる!)そう考える平一郎の精神を、ときわもかきわも、御栄えあれ! 御栄えあれ! と合唱は廻るのだった。(とに角いいことには違いない。教師も学生も異邦人も男女も一緒に悦び和らぎつつ唱うことは! ただそのいっしょさ[#「いっしょさ
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