のははじめてであった。彼は冬子と彼との間にあった「大人と子供」の隔てが全くとれてしまったのを感じた。母に対する心持でもなく和歌子に対する心持でもない、和歌子と母とを一緒にした心持である。その時、上り口の三畳の押入のあたりでこと/\戸をたたく音がして「御新造さま、すみませんがちょっとあけて戴けませんでしょうかしら。御新造様」とお玉の呼ぶ声がした。冬子は立ち上がって、「表から来たのかえ」と言いつつ三畳の片隅の押入のようになっている三尺戸を引くと、お玉が「どうも相すみません」と出て来た。
「隠れ道なんですのよ、平一郎さん――そこからは旦那様の別邸なんですの」と冬子は笑ってみせた。色の白い、頬の林檎のように張ったお玉は、重そうに大きな鴨南蛮の丼をそこへ下ろした。冬子はお玉にも一つをすすめ、平一郎にもすすめた。平一郎は二杯目の蕎麦を食い終わったとき、冬子の隠家と天野の別邸との「秘密の道」から、一人の五十を越した品のいい女の人が現われた。彼女は襷《たすき》をはずしてきちんと手をついて坐った。
「御新造様、お帰りなさいまし。――平一郎さんはこの方でございますの。よくいらっしゃいました」
「田舎をはじめて出て来たんですから、小母さん、また面倒を見てやって下さい」
眼の細い人のいいらしい正真の江戸っ子であるお芳は、会社の小使をしていた太助と一緒にこの別邸に住っているのであった。女中のお玉はお芳と太助との間に出来た一人娘である。――これは後に平一郎が知ったことである。
「旦那様はまだお帰りじゃなかったかえ」
「はい。さっき電話をおかけなさって今夜は少し遅くなるかも知れないから、風呂を沸かして置いてくれろって仰しゃいましたので、さっきから太助が湯加減をしてお待ちしておりますが、まだお見えになりませんようでございます。何んなら御新造さん、一風呂お先きに使いなすったらいかがでございます」
「わたしはいいけれど――」と冬子は平一郎を見た。彼女は平一郎に使わしたいと思った。が言い出さなかった。平一郎にそれが分った。四人は平一郎を中心に他愛もない世間話に時を過し始めた。平一郎をお芳小母さんによく思わせようとする冬子の密かな努力、純粋な江戸生まれで気立の美しい小母さんのおい/\に傾く好意、若い有望な異性として平一郎を認めるお玉の微笑や可愛いその場かぎりの色眼、それは或いは平一郎に浅ましい気を感じさ
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