とを約して戸外へ出た。尾沢は門口まで送って出て叫んだ。「失敬した、またやって来たまえ。――大河君、やって来たまえ!」
雪に湿れた路上に寒い月光が白く照っていた。二人は街角の柳の樹の下で寂しく別れを告げた。平一郎にとってはこの夜の会合は珍しい経験であった。尾沢という年上の青年、静子という若い、多分尾沢の愛人である女。全然新しい人間が平一郎の世界に出現したのである。それ等の人は学校の教師達からはまるで異なっている。何の憚るところもなく愛する二人が自由に愛し合っているらしい尾沢と静子とを羨ましくも思ったが、同時に、尾沢の部屋に充ちていたあの絶望じみた暗陰と無性な怠惰な精神を表わしている不潔とを本能的に嫌った。(どんなに貧しくとも、どんなに一切のものが醜悪であろうとも、またどんなにこの生が自分達に苦しかろうとも、なお希望に燃えたい)と平一郎は思った。それはとにかく、平一郎には彼等の自由さが憧憬された。半年ばかりの間に鮮やかに迫害を強めて来た彼の周囲への憎悪と憤怒が強いだけ、尾沢達の方へ彼の心は引きつけられた。殊に彼は深井がまるで彼に知らさずにああした人達と交わっていたことに、ある裏切られたやるせなさを覚えた。もうお互いに純な少年でなくなったらしいのを彼は認めない訳にいかなくなった。平一郎は深い寂寥の真空に取り巻かれた全く孤独な自分をはっきり認識することがあった。外に照り輝き、温《ぬく》もり合うべき力は内に凝結して曙の知恵の力となって、真理を掴もうとしていた。
彼は次の夜が来たとき、一人で尾沢の家を訪れた。窓のカーテンを越して血のような幅広い光は路上に流れ出ていた。彼はかなりの人数が話しているらしい話し声を聴いた。幾度もたゆたうた後、彼は暗い階段を昇った。
「誰? 大河さん? おはいりなさい」
静子が目敏《めざと》く見つけて、ためらっている彼の意識から「遠慮」をはぎとってしまった。彼は微笑して尾沢に会釈した。一つの火鉢を中心に、尾沢と静子ともう二人見知らぬ青年が坐っていた。一人は頭髪を黒々と美しく分けた血色のよい、袷に角帯をしめた大きな商店の番頭らしい風采で、もう一人は久留米絣の袷を着た学生らしい背の高い瘠せた男であった。平一郎は彼らにもお辞儀をした。
「大河さんという方。深井さんのお友達ですって。昨夜はじめていらしったの」
静子が彼を紹介してくれた。学生風の男は平一
前へ
次へ
全181ページ中132ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島田 清次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング