ら知ったともなしに、お光が十六、七の娘の時分には、この村の久しい昔からの成立や村とお光の生家との関係がはっきり会得されていた。大川村はお光が生まれない昔の頃は同じ加賀平野に存在しながら付近の村々から孤立して生活していた。千年も二千年もの昔、まだ村一帯が雪の深い曠原であった頃、(平家の残党であるともいう)一群の南方より漂泊《さすら》い来た人達が、この辺の曠野の広大さに、放浪の草鞋を脱ぎ捨てたのがこの村の草創《くさわけ》であった。耕すに比類のない豊かな処女地、処女地に潜む新鮮な生産力、――しかし何分にも一群の人数が少なすぎた。人間の数が一群には必要だった。人間に人間を創る方法は一つしか授けられていなかった。交通しあう部落は大川村の近くに見出されない、少数の男と女は新しい同族の出生に、自分達して努力するよりほかに道がなかった。長い放浪の旅は女性の数を少なくしていた。親と子、兄と妹、姉と弟、叔父と姪、叔母と甥、祖父母と孫、友人の妻、友人の夫、主人の妻、臣下の青年――どうにも仕方なかった。男性と女性でありさえすれば、そして二人の交わりが新しい生命を創り出しさえすればそれでよいとせられた。生めよ、殖えよ、大川村の野に充てよ、と一族の者は心から祈った。こうして労力を惜しまず土地を耕す者が殖やされ、血と血が恐ろしい複雑ないりくり[#「いりくり」に傍点]を錯乱して、濁って行った。食う欲望、住む欲望、婬乱な野獣のような渇望、子が親を殺したり、妻が夫を殺したり、友が友を殺したり、そうしてその殺し合う仇敵の間の悪血の交流。そのようにして時が過ぎて行った。太陽は日々に東方より平野を照らし、星辰は夜々空に輝き、恐らく同じ地の上には歴史が他の人々によって生活されている間を、大川村の人達は大川村より外の世界を知らずに生活して来ていた。春、夏、秋の期節には恵まれた北国の野には快い労働と快い婬楽が人々の魂を痺《しび》らしたけれど、あの暗鬱な圧し下がる十二月の空から昼夜の別もなく重い氷雪が降りしきり、西比利亜《シベリア》嵐が吹きつける恐ろしい冬は常に人々を脅かした。人間よ、汝等の地上に栄えることを誰が許したか。滅びよ、滅びよ、滅びつくせよ、と冬は語った。樹木の色の見えない三、四カ月の後、再び春が廻り来る頃、潰れた村の家の中に凍死した村人の骸《なきがら》が毎年五十人を下らなかった。しかし滅ぼす力も自然なら
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