うとした。彼は思いきって、「春風楼はどちらでしたっけ」と訊ねた。
「春風楼はあたしの家よ」円顔の毛深な眉毛や睫の鮮やかな背の低い方の少女――市子が答えると、細顔の鼻の高い目のちら/\と動く背の高い方の米子がぽっと頬を染めて、
「平一郎さんでしょう」と言ったのだ。平一郎は嬉しかった。地獄で仏だと思った。三人は親しくなってしまった。三人ともそう深くはないものの、純白な心の一隅にお互いの印象を信じていたのだ。それがこうもたやすく偶然と親しくなり得ようとは思っていなかった。あくまで微妙で必然で壮大な運命のめぐりあわせの片鱗である。とにかく三人は非常な歓喜を感じて歓喜のうちで、平一郎はちら/\と和歌子のことを想い起こし、米子と市子はちら/\とお互いにお互いのうちに自分の敵と友とを同時に見出しながらやって来たのだった。
「二人とも何しているの。早く帰らないで今まで何していたの。用があったらどうするつもりなの」時子の声が家の中から戸外に響いた。
「誰だい」平一郎は家の中をにらむようにして言った。
「時子姐さんよ」このささやくような少女の答が示す感情を具象的にはっきり感じられる準備は平一郎になかった。
「あのね、僕のお母さんをここまで呼んで来てくれないか」
「あたし呼んで来るわ」市子は家の中へ駈け入った。米子は平一郎に「おはいり」と言った。平一郎は家の前に立って、さて這入る気がしなかった。平一郎にとって未知の世界であった。恐ろしいような気さえしたが、心の底では無理に平気に構えていた。彼は口笛で野球の応援歌を歌いはじめたが、周囲に不調和なのに気づいてすぐに止めてしまった。彼は格子の前の鉄柵につかまって靴の泥をがじり/\落としはじめた。
「平一郎さんじゃない?」それは湯上りの帰りらしい上気した冬子だった。
「さ、おはいり。今、学校から帰ったの。おはいり」平一郎は冬子から発散するいい香料の匂いを快く味わった。冬子の後について土間へはいってゲートルの釦をはずしているところへ、母のお光が出て来た。
「冬子姐さん、お帰りなさい」市子が元気よく冬子を迎えた。
「小母さん、平一郎さんはここにいらしってよ」お光にさらに市子は言う。
「え、ありがとう。平一郎、お前遅かったじゃないか」
「うむ」
「今、わたしが帰って来ると、家の前につくねんと立っていらしったのですよ」
「そうですの――こっちへおいで」

前へ 次へ
全181ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島田 清次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング