枯れた木の根から新しい若芽が萌え出たのだといつて喜んだ。若い文士の従妹も若芽の成長せんことを心から願つた。主人は其夜、風邪の直らぬのも気にしないで床上げをして
『若芽が出たのぢや。若芽が出たのぢや。』
と言つて隣近所へ赤飯をくばつた。ささやかな神棚には、仄暗い御燈明がともされて、主人は其の前に座つたまゝ、神前にそなへた白い表紙の其本をじいつと、いつ迄も/\見詰めて居た――。
若い文士は何より読書が好きであつた。或夏、新しいハンモツクを買つて来て庭の森の木の間に結はえて置いた。夏の日の午後など緑陰の下にうつとりとハンモツクの上に眠つて居る若い人の白い顔が、本を持つた手と共に目に残つてゐた。
何うかすると、若い者同士の従姉妹等を呼び寄せて、一緒にわあわあ騒ぐこともあつた。
時折、西洋の赤い表紙の詩集なんかを読んで居ると、主人がひよつこり現はれて来て
『どんな意味かね。』などと
問ひかけることもあつた。すると若い文士はハンモツクから寝てゐる身体を起しにかゝると
『いゝよ。』
といつて笑つて行き過ぎるのを常として居た。
そうした内に清は卒業する様になつた。清が卒業証書を握つて郷里に皈つた時、トランクの中には自分の名を記してある色んな形の本が三四冊もあつた。秋の夕日に清の乗つた俥《くるま》の輪がきら/\と輝いて、希望に充ちた清の眼には確かに美《うる》はしいものゝ一つであつた。
其れは寝棺の置かれてある其の室であつた。主人と、叔母と、而《そ》うして三人の従姉妹等が寄つて居た。清は自分の身の一歩一歩若く盛んに成り行くに引きかへ、従姉妹等の二人迄が、子持に成つて居るのを不思議さうに眺めた。黒の紋付羽織、仙台平《せんだいひら》の袴、真つ白の胸紐と奇麗に分けた頭の髪とがかすかに打ちふるつて居る仏壇の御燈明に、一きは目立つて鮮やかであつた。卒業証書と四冊許りの書物とは亡き母の位牌にさゝげられてあつたのだ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
文壇の流行児、主人は若い時分の記憶を辿り乍らも紅葉露伴の名を思ひ浮べて居た。
(三)[#「(三)」は縦中横]
卒業後若い文士は東京に住居《すまひ》した。今日も明日も雨許りの六月頃主人は土産片手に息子の宿を訪ねた。長い間息子の便りが絶えて居たのである。
丁度若い文士は不在であつた。出来合の障子は破れ目がたくさんあり、畳の縁は白くすれ切れて居り、むさくるしい六畳の部屋には所々はげかけた金文字の書いてある書物のぎつしりつめてある本箱とが見える丈だつた。
主人は火の気の無い部屋につく然《ねん》と座つて居た。遠くの方からは電車の異様の響と人々のざはめきが込み合つて聞えて来て、雨の午後の日は陰気に暮れて入つた。手持無沙汰に本箱をいぢり廻してふと○の写真と○の手紙を見出した時、主人は「これだなあ。」と呟いた。彼は之でもう郷里への無沙汰も近頃の不規律もすつかり呑み込めたと言ふ様な気に成つた、が、独り長い/\時間を待つて居る内には自分の若い頃の濃厚な恋を思ひ起したりして、息子を悪いとはどうしても思へなかつた。
九時頃、息子はたうとう帰つて来た!
『父さん済まなかつたね。』
これが若い文士が父を見ての最初の言葉であつた。
『お前大分やつれたぢやないか。医者に見てもらはなくちや不可《いかん》。』
主人は蒼ざめた息子の顔を心配さうに眺めてかう言つた。
『女に血をすはれちやいかんぜ。』
これが主人の其の日の最後の言葉であつた、
清は遂に吐血した※[#感嘆符二つ、1−8−75]
古株に萌え出た若芽は又枯れかゝつた。
主人は息子の病の為には全財産を投げ出してもと思つた。今息子に死なれては財産なんぞあつてもなくても同じことだと思つた。
逗子の浜、大磯の海岸――朝となく夜となく、ぶら/″\逍遥ひ歩く若い文士の姿は、通り行く人々に悲しい事を思はせた。
夫に別れた叔母は直ぐ看護の為に来た。そして病人の言ふに任せ、北国の郷里に帰ることにした。
青白い夜のステーションの電燈の下に、たたずんで、人知れず見送つた。
若い文士は電燈の下の○のうるんだ目と白い頸とを何時迄も/\忘れまいと思つた。
(四)[#「(四)」は縦中横]
土蔵の長持からは絹の蒲団が出されて、庭に面した八畳の部屋に敷かれた。白いシーツに白い枕、其の中に病人は仰向けに成つて寝て居た。黄色い水薬の半分許り入つて居る薬瓶や、白い模様のあるコツプが午後の日影の中に鮮やかに浮いて見えた。書きさしの原稿用紙と、黒塗の硯箱とがいつも枕元にきちんと並べてあつた。――
おい/\に人の妻となり、母となつた従姉妹達は大きな丸髪に結つて、子供を連れて見舞なぞにやつて来た。
『清さん、此頃何もお書きぢやありませんか、』
近く此間結婚して二月しか立
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