くすれ切れて居り、むさくるしい六畳の部屋には所々はげかけた金文字の書いてある書物のぎつしりつめてある本箱とが見える丈だつた。
 主人は火の気の無い部屋につく然《ねん》と座つて居た。遠くの方からは電車の異様の響と人々のざはめきが込み合つて聞えて来て、雨の午後の日は陰気に暮れて入つた。手持無沙汰に本箱をいぢり廻してふと○の写真と○の手紙を見出した時、主人は「これだなあ。」と呟いた。彼は之でもう郷里への無沙汰も近頃の不規律もすつかり呑み込めたと言ふ様な気に成つた、が、独り長い/\時間を待つて居る内には自分の若い頃の濃厚な恋を思ひ起したりして、息子を悪いとはどうしても思へなかつた。
 九時頃、息子はたうとう帰つて来た!
『父さん済まなかつたね。』
 これが若い文士が父を見ての最初の言葉であつた。
『お前大分やつれたぢやないか。医者に見てもらはなくちや不可《いかん》。』
 主人は蒼ざめた息子の顔を心配さうに眺めてかう言つた。
『女に血をすはれちやいかんぜ。』
 これが主人の其の日の最後の言葉であつた、

 清は遂に吐血した※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 古株に萌え出た若芽は又枯れかゝつた。
 主人は息子の病の為には全財産を投げ出してもと思つた。今息子に死なれては財産なんぞあつてもなくても同じことだと思つた。
 逗子の浜、大磯の海岸――朝となく夜となく、ぶら/″\逍遥ひ歩く若い文士の姿は、通り行く人々に悲しい事を思はせた。
 夫に別れた叔母は直ぐ看護の為に来た。そして病人の言ふに任せ、北国の郷里に帰ることにした。
 青白い夜のステーションの電燈の下に、たたずんで、人知れず見送つた。
 若い文士は電燈の下の○のうるんだ目と白い頸とを何時迄も/\忘れまいと思つた。

    (四)[#「(四)」は縦中横]

 土蔵の長持からは絹の蒲団が出されて、庭に面した八畳の部屋に敷かれた。白いシーツに白い枕、其の中に病人は仰向けに成つて寝て居た。黄色い水薬の半分許り入つて居る薬瓶や、白い模様のあるコツプが午後の日影の中に鮮やかに浮いて見えた。書きさしの原稿用紙と、黒塗の硯箱とがいつも枕元にきちんと並べてあつた。――
 おい/\に人の妻となり、母となつた従姉妹達は大きな丸髪に結つて、子供を連れて見舞なぞにやつて来た。
『清さん、此頃何もお書きぢやありませんか、』
 近く此間結婚して二月しか立
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