さい。今|大話《おおばなし》があるとこです」
というのは清さんのお袋だ。喜兵衛《きへえ》どんの婆さんもいる。五郎兵衛《ごろべえ》どんの婆さんもいる。七兵衛《しちべえ》の爺さんもいた。みんな湯に入ってしまって話しこんでいるらしい。だれか障子をあけて皆が省作に挨拶する。清さんは囲炉裏のはたにごろねをしていた。おとよさんだけが影も見えず声もしない。よいあんばいだなと思う心と、失望みたような心が同時にわく。湯は明いてますからとお袋がいうままに省作は風呂場へゆく。風呂はとろとろ火ながら、ちいちいと音がしてる。蓆蓋《むしろぶた》を除けて見ると垢臭い。随分多勢はいったと見える。省作は取りあえずはいる。はいって見れば臭味もそれほどでなく、ちょうど頃合《ころあい》の温かさで、しばらくつかっているとうっとりして頭が空になる。おとよさんの事もちょっと忘れる。雨が少し強くなってきたのか、椎の葉に雨の音が聞こえてしずくの落つるが闇に響いて寂しい。座敷の方の話し声がよく聞こえてきた。省作は頭の後ろを桶の縁へつけ目をつぶって温まりながら、座敷の話に耳をそばだてる。やっぱりそのごやごやした話し声の中からおとよさんの声を聞き出そうとするような心も、頭のどこかに働いている。声はたしかに五郎兵衛婆さんだ。
「そら金公の嬶《かかあ》がさ、昨日《きのう》大狂言《おおきょうげん》をやったちでねいか」
「どこで、金公と夫婦げんかか、珍しくもねいや」
「ところが昨日のはよっぽどおもしろかったてよ」
「あの津辺《つべ》の定公《さだこう》ち親分の寺でね。落合《おちあい》の藪《やぶ》の中でさ、大博打《おおばくち》ができたんだよ。よせばえいのん金公も仲間になったのさ。それをだれが教えたか嬶に教えたから、嬶がそれ火のようになってあばれこんだとさ」
「うん博打場へかえ」
「そうよ、嬶のおこるのも無理はねいだよ、婆さん。今年は豊作というにさ。作得米《さくとくまい》を上げたら扶持《ふち》とも小遣いともで二俵しかねいというに、酒を飲んだり博打まで仲間んなるだもの、嬶に無理はないだよ」
「そらまアえいけど、それからどうしたのさ」
「嬶がね。眼《め》真暗《まっくら》で飛び込んでさ。こん生《いけ》畜生め、暮れの飯米《はんまい》もねいのに、博打ぶちたあ何事《なにごっ》たって、どなったまではよかったけど、そら眼真暗だから親父と思ってしがみ
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