何でも買ってやるけれど、お前がおれに負けたらどうする」
「わたしも負けたら何かきっとあげるから、省さんの方からきめておいてください」
「そうさなア、おれが負けたら、皹《ひび》の膏薬をおまえにやろう」
「あらア人をばかにして、……そんならわたしが負けたら一文膏薬を省さんにあげべい。ハハハハ」
 仕事着といっても若いものたちには、それぞれ見えがある。省作は無頓着《むとんちゃく》で白メレンスの兵児帯《へこおび》が少し新しいくらいだが、おはまは上着は中古《ちゅうぶる》でも半襟《はんえり》と帯とは、仕立ておろしと思うようなメレンス友禅の品《ひん》の悪くないのに卵色の襷《たすき》を掛けてる。背丈すらっとして色も白い方でちょっとした娘だ。白地の手ぬぐいをかぶった後ろ姿、一村の問題に登るだけがものはある。満蔵なんか眼中にないところなどはすこぶる頼もしい。省作にからかわれるのがどうやらうれしいようにも見えるけれど、さあ仕事となれば一生懸命に省作を負かそうとするなどははなはだ無邪気でよい。
 清《せい》さんと清さんのお袋といっしょにおとよさんは少しあとになってくる。おとよさんは決して清さんといっしょになって歩くようなことはないのだ。お早うございますが各自《てんで》に交換され、昨日のこと天気のよいことなど喃々《なんなん》と交換されて、気の引き立つほどにぎやかになった。おとよさんは、今つい庭さきまで浮かぬ顔色できたのだけれど、みんなと三言四言ことばを交えて、たちまち元のさえざえした血色に返った。
 おとよさんは、みなりも心のとおりで、すべてがしっかりときりっとして見るもすがすがしいほどである。おはまはおとよさんを一も二もなく崇拝して、何から何までおとよさんをまねる。おはまはおとよさんの来たのを見るや、庭まで出ておとよさんを迎え、おとよさんの風《ふう》の上から下まで見つめて、やがておとよさんの物をこれは何これはどうしてと、一々聞いて見る。おとよさんは十九だというけれど、勝気な女だからどう見たって二十前の女とは見えない。女としてはからだがたくまし過ぎるけれど、さりとて決して角々《かどかど》しいわけではない。白い女の持ち前で顔は紅《くれない》に色どってあるようだ。口びるはいつでも「べに」をすすったかとおもわれる。沢山な黒髪をゆたかに銀杏《いちょう》返しにして帯も半襟も昨日とは変わってはなやかだ。
前へ 次へ
全25ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング