度の縁談が不承知か。こんな風に言われたから、民子はすっかり自分をあきらめたらしく、とうとう皆様のよい様にといって承知をした。それからは何もかも他《ひと》の言うなりになって、霜月|半《なかば》に祝儀をしたけれど、民子の心持がほんとうの承知でないから、向うでもいくらかいや気になり、民子は身持になったが、六月《むつき》でおりてしまった。跡の肥立ちが非常に悪くついに六月十九日に息を引き取った。病中僕に知らせようとの話もあったが、今更政夫に知らせる顔もないという訣から知らせなかった。家のお母さんは民子が未だ口をきく時から、市川へ往って居って、民子がいけなくなると、もう泣いて泣いて泣きぬいた。一口まぜに、民子は私が殺した様なものだ、とばかりいって居て、市川へ置いたではどうなるか知れぬという訣から、昨日車で家へ送られてきたのだ。話さえすれば泣く、泣けば私が悪かった悪かったと云って居る。誰にも仕様がないから、政夫さんの所へ電報を打った。民子も可哀相だしお母さんも可哀相だし、飛んだことになってしまった。政夫さん、どうしたらよいでしょう。
 嫂《あによめ》の話で大方は判ったけれど、僕もどうしてよいやら殆ど
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