坂の上まで出て渡しの方を見ていたそうで、いつでも家中のものに冷かされる。民子は真面目《まじめ》になって、お母さんが心配して、見てお出で見てお出《い》でというからだと云い訣《わけ》をする。家の者は皆ひそひそ笑っているとの話であった。
 そういう次第だから、作おんなのお増などは、無上《むしょう》と民子を小面《こづら》憎がって、何かというと、
「民子さんは政夫さんとこへ許り行きたがる、隙《ひま》さえあれば政夫さんにこびりついている」
 などと頻りに云いはやしたらしく、隣のお仙や向うのお浜等までかれこれ噂をする。これを聞いてか嫂《あによめ》が母に注意したらしく、或日母は常になくむずかしい顔をして、二人を枕もとへ呼びつけ意味有り気な小言を云うた。
「男も女も十五六になればもはや児供《こども》ではない。お前等二人が余り仲が好過ぎるとて人がかれこれ云うそうじゃ。気をつけなくてはいけない。民子が年かさの癖によくない。これからはもう決して政の所へなど行くことはならぬ。吾子《わがこ》を許すではないが政は未だ児供だ。民やは十七ではないか。つまらぬ噂をされるとお前の体に疵《きず》がつく。政夫だって気をつけろ…
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