向けは、政夫のことを思うて居ても到底駄目であると遠廻しに諷示《ふうじ》して居た。そこへきて民子が明けてもくれてもくよくよして、人の眼にもとまるほどであるから、時々は物忘れをしたり、呼んでも返辞が遅かったりして、母の疳癪《かんしゃく》にさわったことも度々あった。僕が居なくなってから二十日許り経って十一月の月初めの頃、民子も外の者と野へ出ることとなって、母が民子にお前は一足跡になって、座敷のまわりを雑巾掛《ぞうきんがけ》してそれから庭に広げてある蓆《むしろ》を倉へ片づけてから野へゆけと言いつけた。民子は雑巾がけをしてからうっかり忘れてしまって、蓆を入れずに野へ出た処、間がわるくその日雨が降ったから、その蓆十枚ばかりを濡らしてしまった。民子は雨が降ってから気がついたけれど、もう間に合わない。うちへ帰って早速母に詫《わ》びたけれど母は平日の事が胸にあるから、
「何も十枚ばかりの蓆が惜しいではないけれど、一体私の言いつけを疎《おろそ》かに聞いているから起ったことだ。もとの民子はそうでなかった。得手勝手な考えごとなどしているから、人の言うことも耳へ這入《はい》らないのだ……」
という様な随分痛い
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