私|極《きま》りわるくてしょうがないわ」
「よしとそれじゃ僕が先になろう」
僕は頗《すこぶ》る勇気を鼓《こ》し殊に平気な風を装うて門を這入った。家の人達は今夕飯最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。僕が咳払《せきばらい》を一ツやって庭場へ這入ると、台所の話はにわかに止んでしまった。民子は指の先で僕の肩を撞《つ》いた。僕も承知しているのだ、今御膳会議で二人の噂が如何《いか》に盛んであったか。
宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へ揃《そろ》うた時、母も奥から起きてきた。母は一通り二人の余り遅かったことを咎めて深くは言わなかったけれど、常とは全く違っていた。何か思っているらしく、少しも打解けない。これまでは口には小言を言うても、心中に疑わなかったのだが、今夜は口には余り言わないが、心では十分に二人に疑いを起したに違いない。民子はいよいよ小さくなって座敷|中《なか》へは出ない。僕は山から採ってきた、あけびや野葡萄《えびづる》やを沢山座敷|中《じゅう》へ並べ立てて、暗に僕がこんな事をして居たから遅くなったのだとの意を示し無言の弁解を
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