ぼ畑を出掛けた時は、日は早く松の梢をかぎりかけた。
 半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、木《こ》の間《ま》から影をさして尾花にゆらぐ風もなく、露の置くさえ見える様な夜になった。今朝は気がつかなかったが、道の西手に一段低い畑には、蕎麦《そば》の花が薄絹を曳き渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。
「民さん、くたぶれたでしょう。どうせおそくなったんですから、この景色のよい所で少し休んで行きましょう」
「こんなにおそくなるなら、今少し急げばよかったに。家の人達にきっと何とか言われる。政夫さん、私はそれが心配になるわ」
「今更心配しても追《おっ》つかないから、まア少し休みましょう。こんなに景色のよいことは滅多《めった》にありません。そんなに人に申訣のない様な悪いことはしないもの、民さん、心配することはないよ」
 月あかりが斜にさしこんでいる道端の松の切株に二人は腰をかけた。目の先七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の花が際《きわ》立って白い。
「何というえい景色でしょう。政夫さん歌とか俳句とかいうものをやったら、こんなと
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