言話をするうちに、民子は鮮かな曇りのない元の元気になった。僕も勿論愉快が溢《あふ》れる……、宇宙間にただ二人きり居るような心持にお互になったのである。やがて二人は茄子のもぎくらをする。大きな畑だけれど、十月の半過ぎでは、茄子もちらほらしかなって居ない。二人で漸《ようや》く二升ばかり宛《ずつ》を採り得た。
「まァ民さん、御覧なさい、入日の立派なこと」
 民子はいつしか笊を下へ置き、両手を鼻の先に合せて太陽を拝んでいる。西の方の空は一体に薄紫にぼかした様な色になった。ひた赤く赤いばかりで光線の出ない太陽が今その半分を山に埋めかけた処、僕は民子が一心入日を拝むしおらしい姿が永く眼に残ってる。
 二人が余念なく話をしながら帰ってくると、背戸口の四つ目垣の外にお増がぼんやり立って、こっちを見て居る。民子は小声で、
「お増がまた何とか云いますよ」
「二人共お母さんに云いつかって来たのだから、お増なんか何と云ったって、かまやしないさ」
 一事件を経《ふ》る度に二人が胸中に湧いた恋の卵は層《かさ》を増してくる。機に触れて交換する双方の意志は、直《ただち》に互いの胸中にある例の卵に至大な養分を給与する。
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