、民子と二人で茄子《なす》をとった畑が今は青々と菜がほきている。僕はしばらく立って何所《いずこ》を眺めるともなく、民子の俤を脳中にえがきつつ思いに沈んでいる。
「政夫さん、何をそんなに考えているの」
 お増が出し抜けに後からそいって、近くへ寄ってきた。僕がよい加滅なことを一言二言いうと、お増はいきなり僕の手をとって、も少しこっちへきてここへ腰を掛けなさいまアと言いつつ、藁《わら》を積んである所へ自分も腰をかけて僕にも掛けさせた。
「政夫さん……お民さんはほんとに可哀相でしたよ。うちの姉さんたらほんとに意地曲りですからネ。何という根性の悪い人だか、私もはアここのうちに居るのは厭になってしまった。昨日政夫さんが来るのは解りきって居るのに、姉さんがいろんなことを云って、一昨日お民さんを市川へ帰したんですよ。待つ人があるだっぺとか逢いたい人が待ちどおかっぺとか、当こすりを云ってお民さんを泣かせたりしてネ、お母さんにも何でもいろいろなこと言ったらしい、とうとう一昨日お昼前に帰してしまったのでさ。政夫さんが一昨日きたら逢われたんですよ。政夫さん、私はお民さんが可哀相で可哀相でならないだよ。何だってあなたが居なくなってからはまるで泣きの涙で日を暮らして居るんだもの、政夫さんに手紙をやりたいけれど、それがよく自分には出来ないから口惜しいと云ってネ。私の部屋へ三晩も硯《すずり》と紙を持ってきては泣いて居ました。お民さんも始まりは私にも隠していたけれど、後には隠して居られなくなったのさ。私もお民さんのためにいくら泣いたか知れない……」
 見ればお増はもうぽろぽろ涙をこぼしている。一体お増はごく人のよい親切な女で、僕と民子が目の前で仲好い風をすると、嫉妬心《しっとしん》を起すけれど、もとより執念深い性でないから、民子が一人になれば民子と仲が好く、僕が一人になれば僕を大騒ぎするのである。
 それからなおお増は、僕が居ない跡で民子が非常に母に叱られたことなどを話した。それは概略こうである。意地悪の嫂《あによめ》が何を言うても、母が民子を愛することは少しも変らないけれど、二つも年の多い民子を僕の嫁にすることはどうしてもいけぬと云うことになったらしく、それには嫂もいろいろ言うて、嫁にしないとすれば、二人の仲はなるたけ裂く様な工夫をせねばならぬ。母も嫂もそういう心持になって居るから、民子に対する仕向けは、政夫のことを思うて居ても到底駄目であると遠廻しに諷示《ふうじ》して居た。そこへきて民子が明けてもくれてもくよくよして、人の眼にもとまるほどであるから、時々は物忘れをしたり、呼んでも返辞が遅かったりして、母の疳癪《かんしゃく》にさわったことも度々あった。僕が居なくなってから二十日許り経って十一月の月初めの頃、民子も外の者と野へ出ることとなって、母が民子にお前は一足跡になって、座敷のまわりを雑巾掛《ぞうきんがけ》してそれから庭に広げてある蓆《むしろ》を倉へ片づけてから野へゆけと言いつけた。民子は雑巾がけをしてからうっかり忘れてしまって、蓆を入れずに野へ出た処、間がわるくその日雨が降ったから、その蓆十枚ばかりを濡らしてしまった。民子は雨が降ってから気がついたけれど、もう間に合わない。うちへ帰って早速母に詫《わ》びたけれど母は平日の事が胸にあるから、
「何も十枚ばかりの蓆が惜しいではないけれど、一体私の言いつけを疎《おろそ》かに聞いているから起ったことだ。もとの民子はそうでなかった。得手勝手な考えごとなどしているから、人の言うことも耳へ這入《はい》らないのだ……」
 という様な随分痛い小言を云った。民子は母の枕元近くへいって、どうか私が悪かったのですから堪忍《かんにん》して……と両手をついてあやまった。そうすると母はまたそう何も他人らしく改まってあやまらなくともだと叱ったそうで、民子はたまらなくなってワッと泣き伏した。そのまま民子が泣きやんでしまえば何のこともなく済んだであろうが、民子はとうとう一晩中泣きとおしたので翌朝は眼を赤くして居た。母も夜時々眼をさましてみると、民子はいつでも、すくすく泣いている声がしていたというので、今度は母が非常に立腹して、お増と民子と二人呼んで母が顫声《ふるえごえ》になって云うには、
「相対《あいたい》では私がどんな我儘なことを云うかも知れないからお増は聞人《ききて》になってくれ。民子はゆうべ一晩中泣きとおした。定めし私に云われたことが無念でたまらなかったからでしょう」
 民子はここで私はそうでありませんと泣声でいうたけれど、母は耳にもかけずに、
「なるほど私の小言も少し云い過ぎかも知れないが、民子だって何もそれほど口惜《くや》しがってくれなくてもよさそうなものじゃないか。私はほんとに考えると情なくなってしまった。かわいがったのを恩に着
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