途方にくれた。母はもう半気違いだ。何しろここでは母の心を静めるのが第一とは思ったけれど、慰めようがない。僕だっていっそ気違いになってしまったらと思った位だから、母を慰めるほどの気力はない。そうこうしている内にようやく母も少し落着いてきて、また話し出した。
「政夫や、聞いてくれ。私はもう自分の悪党にあきれてしまった。何だってあんな非度《ひど》いことを民子に言ったっけかしら。今更なんぼ悔いても仕方がないけど、私は政夫……民子にこう云ったんだ。政夫と夫婦にすることはこの母が不承知だからおまえは外へ嫁に往け。なるほど民子は私にそう云われて見れば自分の身を諦《あきら》める外はない訣だ。どうしてあんな酷《むご》たらしいことを云ったのだろう。ああ可哀相な事をしてしまった。全く私が悪党を云うた為に民子は死んだ。お前はネ、明朝《あした》は夜が明けたら直ぐに往ってよオく民子の墓に参ってくれ。それでお母さんの悪かったことをよく詫びてくれ。ねイ政夫」
僕もようやく泣くことが出来た。たといどういう都合があったにせよ、いよいよ見込がなくなった時には逢わせてくれてもよかったろうに、死んでから知らせるとは随分非度い訣だ。民さんだって僕には逢いたかったろう。嫁に往ってしまっては申訣がなく思ったろうけれど、それでもいよいよの真際《まぎわ》になっては僕に逢いたかったに違いない。実に情ない事だ。考えて見れば僕もあんまり児供であった。その後市川を三回も通りながらたずねなかったは、今更残念でならぬ。僕は民子が嫁にゆこうがゆくまいが、ただ民子に逢いさえせばよいのだ。今一目逢いたかった……次から次と果てしなく思いは溢れてくる。しかし母にそういうことを言えば、今度は僕が母を殺す様なことになるかも知れない。僕は屹《きっ》と心を取り直した。
「お母さん、真《ほんと》に民子は可哀相でありました。しかし取って返らぬことをいくら悔んでも仕方がないですから、跡の事を懇《ねんごろ》にしてやる外はない。お母さんはただただ御自分の悪い様にばかりとっているけれど、お母さんとて精神《こころ》はただ民子のため政夫のためと一筋に思ってくれた事ですから、よしそれが思う様にならなかったとて、民子や私等が何とてお母さんを恨みましょう。お母さんの精神はどこまでも情心《なさけごころ》でしたものを、民子も決して恨んではいやしまい。何もかもこうなる運命
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