の事さえ考えればいつでも気分がよくなる。勿論悲しい心持になることがしばしばあるけれど、さんざん涙を出せばやはり跡は気分がよくなる。民子の事を思って居ればかえって学課の成績も悪くないのである。これらも不思議の一つで、如何なる理由か知らねど、僕は実際そうであった。

 いつしか月も経って、忘れもせぬ六月二十二日、僕が算術の解題に苦んで考えて居ると、小使が斎藤さんおうちから電報です、と云って机の端へ置いて去った。例のスグカエレであるから、早速舎監に話をして即日帰省した。何事が起ったかと胸に動悸をはずませて帰って見ると、宵闇《よいやみ》の家の有様は意外に静かだ。台所で家中夕飯時であったが、ただそこに母が見えない許り、何の変った様子もない。僕は台所へは顔も出さず、直ぐと母の寝所へきた。行燈《あんどん》の灯《ひ》も薄暗く、母はひったり枕に就いて臥《ふ》せって居る。
「お母さん、どうかしましたか」
「あア政夫、よく早く帰ってくれた。今私も起きるからお前御飯前なら御飯を済ましてしまえ」
 僕は何のことか頻《しき》りに気になるけれど、母がそういうままに早々に飯をすまして再び母の所へくる。母は帯を結《ゆ》うて蒲団の上に起きていた。僕が前に坐ってもただ無言でいる。見ると母は雨の様な涙を落して俯向《うつむ》いている。
「お母さん、まアどうしたんでしょう」
 僕の詞に励まされて母はようやく涙を拭き、
「政夫、堪忍してくれ……。民子は死んでしまった……私が殺した様なものだ……」
「そりゃいつです。どうして民さんは死んだんです」
 僕が夢中になって問返すと、母は嗚咽《むせ》び返って顔を抑えて居る。
「始終をきいたら、定めし非度《ひど》い親だと思うだろうが、こらえてくれ、政夫……お前に一言の話もせず、たっていやだと言う民子を無理に勧めて嫁にやったのが、こういうことになってしまった……たとい女の方が年上であろうとも本人同志が得心であらば、何も親だからとて余計な口出しをせなくもよいのに、この母が年|甲斐《がい》もなく親だてらにいらぬお世話を焼いて、取返しのつかぬことをしてしまった。民子は私が手を掛けて殺したも同じ。どうぞ堪忍してくれ、政夫……私は民子の跡追ってゆきたい……」
 母はもうおいおいおいおい声を立てて泣いている。民子の死ということだけは判ったけれど、何が何やら更に判らぬ。僕とて民子の死と聞い
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