言話をするうちに、民子は鮮かな曇りのない元の元気になった。僕も勿論愉快が溢《あふ》れる……、宇宙間にただ二人きり居るような心持にお互になったのである。やがて二人は茄子のもぎくらをする。大きな畑だけれど、十月の半過ぎでは、茄子もちらほらしかなって居ない。二人で漸《ようや》く二升ばかり宛《ずつ》を採り得た。
「まァ民さん、御覧なさい、入日の立派なこと」
民子はいつしか笊を下へ置き、両手を鼻の先に合せて太陽を拝んでいる。西の方の空は一体に薄紫にぼかした様な色になった。ひた赤く赤いばかりで光線の出ない太陽が今その半分を山に埋めかけた処、僕は民子が一心入日を拝むしおらしい姿が永く眼に残ってる。
二人が余念なく話をしながら帰ってくると、背戸口の四つ目垣の外にお増がぼんやり立って、こっちを見て居る。民子は小声で、
「お増がまた何とか云いますよ」
「二人共お母さんに云いつかって来たのだから、お増なんか何と云ったって、かまやしないさ」
一事件を経《ふ》る度に二人が胸中に湧いた恋の卵は層《かさ》を増してくる。機に触れて交換する双方の意志は、直《ただち》に互いの胸中にある例の卵に至大な養分を給与する。今日の日暮はたしかにその機であった。ぞっと身振いをするほど、著しき徴候を現したのである。しかし何というても二人の関係は卵時代で極《きわ》めて取りとめがない。人に見られて見苦しい様なこともせず、顧みて自ら疚《やま》しい様なこともせぬ。従ってまだまだ暢気《のんき》なもので、人前を繕《つくろ》うと云う様な心持は極めて少なかった。僕と民子との関係も、この位でお終いになったならば、十年忘れられないというほどにはならなかっただろうに。
親というものはどこの親も同じで、吾子をいつまでも児供のように思うている。僕の母などもその一人に漏れない。民子はその後時折僕の書室へやってくるけれど、よほど人目を計らって気ぼねを折ってくる様な風で、いつきても少しも落着かない。先に僕に厭味《いやみ》を云われたから仕方なしにくるかとも思われたが、それは間違っていた。僕等二人の精神状態は二三日と云われぬほど著しき変化を遂げている。僕の変化は最も甚《はなはだ》しい。三日前には、お母さんが叱れば私が科《とが》を背負うから遊びにきてとまで無茶を云うた僕が、今日はとてもそんな訣のものでない。民子が少し長居をすると、もう気が咎めて
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